「Invenit et Fecit」―F.P.ジュルヌの時計にはすべて、ラテン語で「発明し、製作した」を意味するこの文字が刻まれている。常に未知の機構に挑み、オリジナルを開発したことに対する自信と誇りの表明だ。
大半のブランドが巨大コングロマリットの傘下にある現在の時計業界にあって、ジュルヌのように独立性を保っているブランドは極めて少ない。「天才時計師」の名をほしいままにしてきたフランソワ-ポール・ジュルヌ氏に、これまでいくつもの資本提携が打診されてきたことは想像に難くない。 それでも氏がその種の投資話に一切耳を貸さなかったのはなぜか。理由は明快だ。
「経営者である前に、自分のつくりたい時計だけをつくる時計師でありたい。他の資本に邪魔されずに自分のクリエーションを自由に追い求めたい」ただその一念である。
25歳の時に初めての作品としてトゥールビヨンを完成させて以来、ジュルヌ氏の時計づくりにかけるその思いは微動だにしない。今までにない機構の時計を発明・製作することに全力を出し切っているのだ。
「ジュネーブで初めてあなたの雑誌の取材を受けたのは、1999年に会社を立ち上げて間もない頃でした。『時計づくりと同じように会社をつくっていきます』と話したのを覚えています。その通りに進んでいます」とジュルヌ氏。
「最初のムーブメントを自分自身の手で組み立てて検証。そうしてできた新しいムーブメントをシリーズ化した製品にするのがスタッフの仕事」だとする氏は、「すべてを自分でコントロールする」ことに徹している。時計師としてのピュアな血液を時計にもブティックにもマニュファクチュールにも注ぎ続け、ベストな循環をつくってきた。足元を固めながら、視線は近未来を見据えている―そんな印象のある氏は、なぜパリよりも先に東京に店を開いたのか。
「15年ほど前に初めて東京に来た時、時計販売を百貨店が担っているのを知りました。そういう売り方は私の時計にふさわしくない。それで『すぐに自分のブティックを開かねば』と思ったのです。あと、私が1991年に発表したルモントワール機構付きの腕時計を評価してくれたたった二人の内の一人が、NYでも活躍する日本人のジャズギタリストだったことも大きい。それだけで『日本人は私の時計を気に入ってくれるだろう』と強く感じました。私の直感が『まず日本だよ』と告げたわけです。東京のブティックは香港、ジュネーブ、パリの店を開く際のお手本になり、またバーやサロンを構えるというラグジュアリー感は現在の東京の小売店のコンセプトに影響を与えました。12年を経て、私のやり方に自信を深めています」
氏によると「今後、時計はさらに複雑なものになる」という。今や「自分自身をおいてライバルはいない」と明言するが、課題は若手時計師の育成だ。「複雑になればなるほど人の手がかかる」からだ。氏の複雑さへの追求に終わりはない。
完全無比のグラン・ソヌリ
ジュルヌ氏をして「現時点で最も難しい」と言わしめるのがグラン・ソヌリである。世界三大機構の一つとされるミニッツリピーターとは一線を画する、さらに複雑化した音系機構だ。氏はこれを6年かけて開発し、2005年に第1号モデル「ソヌリ・スヴレンヌ」を発表。「金の針賞」を獲得した。「正時と15分ごとに時間を自動的に鐘の音で知らせるソヌリ機構と、任意の操作で現在時刻を音に変換して告げるミニッツリピーター機構を組み合わせたメカニズムが、現在考えられる完璧無比な域に到達した」と高く評価された。
「構造上、一番難しいのは、腕時計に蓄えられたわずかなパワーで音を鳴らし、最大限のグラン・ソヌリの機能を発揮させること。それもチャイムの音と信頼性の確保に妥協することなく、です。また、いかなる操作ミスによってもダメージを受けない安全性を確保することも大きな目標でした。従来のグラン・ソヌリは、例えばチャイムが作動している状態で腕時計を操作しただけで壊れてしまう、それほど繊細でしたからね」
“ジュルヌ・マジック”をかけられたメカニズムは、目で確認されたし。サファイアガラスの裏ぶた越しに422のパーツから構成されるメカニズムが、また左側の窓からはグラン・ソヌリ、プチソヌリ、時間、15分、分リピーターの2種類のチャイムを鳴らす二つのハンマーが、その精緻(せいち)にして美しい姿を現出させる。
至高のトゥールビヨン
「トゥールビヨンはロレックスに次ぐ知られたブランドだと思う」
軽いジョークを繰り出したジュルヌ氏。確かにトゥールビヨンは、今でこそコンピューターによる精密設計のおかげで多くのブランドがラインアップしている。しかし、その端緒を開いたのは他ならぬジュルヌ氏。もう30年以上前、懐中時計の修理に取り組んでいた彼が「一から自分の手でオリジナルの時計をつくってみたい」思いに駆られ、独学で25歳の時に完成させた初めての作品、それこそがトゥールビヨンだ。
そして1991年にはトゥールビヨンと、主ゼンマイの力を一定に保つルモントワール機構を搭載した初めての腕時計を製作。その8年後にスヴラン・コレクションの最初のモデルとして「トゥールビヨン・スヴラン」が誕生した。それでも飽くなき追求を続け2004年には、第2世代の「トゥールビヨン・スヴラン・デッド・セコンド」にその技術を昇華させた。デッド・セコンドとは完全に1秒が過ぎない限り針が停止状態にあることを意味する。
また、2012年にスヴラン・コレクションに加わった「クロノメーター・オプティマム」は、新たな手巻きモデル。並列に配置された二つの香箱、ルモントワール機構、特殊な脱進機など、高精度を担う複数の機構を一つの時計に組み込んだ。トゥールビヨンと並んで、時計史に新たな1ページを開いたと言えよう。
可能性「∞」のオクタ・コレクション
ジュルヌ氏の時計は、19世紀以前からの伝統的な時計づくりの本流にある。メカニズムは古典を模範にしたものでありながら、かつてあったものと全く別の発明だ。古典の再現ではなく、今までにない方法で動かす、それが氏の美意識だ。例えば「クロノメーター・スヴラン」には、19世紀初頭のマリンクロノメーターから得た着想に、際立った精度と56時間のパワーリザーブを両立させる工夫が多数盛り込まれているように。
全コレクションに共通するこの哲学は、自動巻きのオクタ・ムーブメントを搭載したオクタ・コレクションにも貫かれている。ムーブメントは自動巻きでは世界初となる120時間ものパワーリザーブを達成した。長くしなやかで薄い主ゼンマイと効率性の高い自動巻き上げ機構を組み合わせ、長時間の作動と精度の安定という矛盾する課題が克服された。
さらに特異なのは、完成したムーブメントにあらかじめ1mmの空間を用意したことだ。ここは「後に異なる複雑機構を組み込むための未来」。無限大「∞」の可能性を秘めている。
このコレクションのモデルの一つ、「オクタ・UTC」は、カラフルな世界地図を回転させてタイムゾーンとサマータイムの設定が簡単にできるワールドタイム機構を備えている。GMT(グリニッジ標準時)ではなく、あえて国際原子時を基準にした「UTC(協定世界時)」と名付けたところがまたジュルヌ氏らしい。
初のレディースライン・エレガント
2014年、F.P.ジュルヌ唯一の新作は初のレディース「エレガント」。しかもクオーツとあって、驚いた人は多いだろう。しかし、ジュルヌ氏によると「20年以上も前から、女性たちにレディースウオッチをつくって欲しいと頼まれていた」とか。その願いに応えて誕生した「エレガント」には、クオーツとはいえ高度な複雑機械式のムーブメントを独自の方法で開発してきた技術が生かされている。「Invenit et Fecit」であることは言うまでもない。
この時計は時間を正確に刻むだけではなく、一定時間使用しない場合には自動的に止まり、再び腕に着けると動き出して現在の時刻を示す。また、毎日使用した場合でも約8~10年、スタンバイモードでは約18年もの間使用可能だ。ジュルヌ氏はこの革新的なムーブメントの開発に、8年もの歳月を要したという。また、「オクタ・ディヴィーヌ」はレディースではないが、36mmサイズもあって、女性の感性に訴えるモデル。中でも「オクタ・ディヴィーヌ・ダイヤモンド」は、ケース・ブレスレットに950個(6.72ct)のダイヤモンドを配した初の時計だ。時分針を中心に置き、右下に秒針、左下にムーンフェイズ、その上にパワーリザーブ・インジケーター、上部に大型の日付表示を備える。
「私の時計のデザインはエレガントが信条だ」と言うジュルヌ氏。その洗練されたデザインの美学を堪能したい。
●F.P. ジュルヌ東京ブティック
東京都港区南青山6-1-3 コレッツィオーネ
TEL03-5468-0931
※『Nile’s NILE』2015年11月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています