カイロスとクロノスが交差するところ

ドイツ時計の“聖地”と呼ばれる、グラスヒュッテ。1845年にフェルディナント・アドルフ・ランゲによって始められたこの地の時計製造の歴史を、途絶えることなく今に受け継ぐウォッチ・ブランド、グラスヒュッテ・オリジナル。その妥協なきものづくりの足取りと成果を紹介する。

Photo Takehiro Hiramatsu(digni) Text Yasushi Matsuami

ドイツ時計の“聖地”と呼ばれる、グラスヒュッテ。1845年にフェルディナント・アドルフ・ランゲによって始められたこの地の時計製造の歴史を、途絶えることなく今に受け継ぐウォッチ・ブランド、グラスヒュッテ・オリジナル。その妥協なきものづくりの足取りと成果を紹介する。

グラスヒュッテ・オリジナルを象徴する、シンメトリーなダブルスワンネック機構
グラスヒュッテ・オリジナルを象徴する、シンメトリーなダブルスワンネック機構。微細な歩度調整を可能にするために開発されたものだ。現在は、さらなる正確さを保証する調速システムも採用されているが、伝統的な優美な外観を守るスタンスもグラスヒュッテ・オリジナルらしい。スワンネック下の受けに施された手彫りのエングレーブも見事。

中世から近世にかけ、ドイツ東部ザクセンの首都として栄えたドレスデンから約20km、エルツ山地のふもとに位置するグラスヒュッテ。人口はわずか5000人ほど、今も100年前と変わらぬ風景を保っているのどかな山村だが、時計愛好家の間では、ドイツ時計の“聖地”としてつとに知られている場所だ。

古くから鉱山業や金属加工業が盛んだったこの地に、最初の時計工房が開設されたのは1845年。ドレスデンの宮廷時計師の下で腕を磨き、フランス、スイス、イギリスへの修業の旅を経た後、優れた時計製造技術をこの地に根付かせた大功労者、フェルディナント・アドルフ・ランゲによるものだった。

20世紀に入る頃には、ドイツを代表する時計産業の地に成長したグラスヒュッテだったが、20世紀前半には世界恐慌による苦難の時代を経験。また第2次世界大戦では壊滅的な戦禍を被ったばかりか、戦後旧東ドイツの政治体制下で、この地のすべての時計工房がグラスヒュッテ・ウーレンベトリーブ(通称GUB)という国営企業に統合されてしまう。しかしこの時期も、世界の時計市場から孤立しながらも100%自給自足で時計製造を続け、その技術力は継承されていく。

東西ドイツ統合が実現した1990年にGUBは民営化され、グラスヒュッテ・オリジナルというブランド名の下に新たなスタートを切る。すなわち、グラスヒュッテ・オリジナルは、1845年のF.A.ランゲの工房開設以来の伝統を、途切れることなく今日に伝える真の継承者といえる。

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ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。