伝統の琉球料理
那覇市の「美榮(みえ)」では、伝統の琉球料理を味わうことができる。創業者は首里の生まれで、首里士族の伝承料理を食べて育った古波藏登美(こはぐらとみ)さん。赤瓦を白漆喰で塗り込んだ屋根に、沖縄独自の低く構えた木造建築。
この伝統的な空間で、登美さんが蒐集した琉球漆器や壺屋焼、民具などの工芸品に触れながら、琉球王国時代の香りがする特別な琉球料理を堪能できるのも魅力だ。
料理は、肉味噌を小麦粉の皮で巻いた「ぽうぽう」。豚の胃と腸を使った「なかみの吸いもの」は、内臓の臭みを消すために何度も水洗いをし、短冊に刻み、さらに鰹節と肉出汁をしみこませる。手間と暇を惜しまず、丁寧に仕込みをするのが琉球料理の神髄だ。
「琉球では諸外国の影響で個性的な食文化が生まれました。その琉球文化を途絶えさせてはいけないという創業者の思いを、料理や空間から感じてもらえたら」と女将の古波藏德子(こはぐらのりこ)さん。
琉球伝統芸能
今に伝わる琉球王国時代の宮廷文化の一つに琉球伝統芸能が挙げられる。
「琉球古典音楽や琉球古典舞踊などの宮廷芸能は、『国学』として外交のツールとされていました。首里城だけでなく、江戸や薩摩の屋敷に“踊奉行”を派遣して披露していた」と話す歌三線(うたさんしん)の師範で、沖縄県立芸術大学の山内昌也(やまうちまさや)さん。
山内さんが代表を務める琉球伝統芸能デザイン研究室では、琉球王国時代に演じられていた本来の宮廷芸能を再現し、限られた人のために上質な空間で演じ始めた。この試みが「美榮榮」での上演により最高の空間が誕生したわけだ。
歌三線と舞踊のみ。ゆったりとした雅な旋律に、首里城で使われていた、現在の沖縄の方言とも異なる古語の歌が真言のように響き、それに合わせて伝統装束の紅型(びんがた)を着た踊り手が舞う。座敷では、畳の上で舞うすり足や三線の弦を押さえる音まで聞こえる。この細やかさ、神経の行き届いた優美さにこそ、宮廷芸能の美学が宿る。
「廃藩置県以降、宮廷芸能は首里以外で演じられましたが、庶民の生活リズムに合わず、軽快に歌って踊れるものとして生まれたのが沖縄民謡や雑踊(ぞーおどり)。それに対し、王国時代の美や文化を伝えるのが琉球伝統芸能なのです」
琉球料理に舌鼓を打ちながら、本格的な琉球伝統芸能に見入る。それは琉球王国時代の優雅で特別な時間となるに違いない。琉球の伝統文化を継承する“本物”の競演が、今、沖縄で始まろうとしている。
※『Nile’s NILE』2019年10月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています