
ぼた餅とおはぎの呼び分けには、春と秋の花に由来する説が一般的です。春のお彼岸には牡丹の花に見立てて「ぼた餅」、秋のお彼岸には萩の花に見立てて「おはぎ」と呼ばれるようになったとされています。
1712年の『和漢三才図会』には「牡丹餅・萩餅」として記述があり、1844年の『世事百談』や1775年の『物類称呼』にも、牡丹や萩の花に見立てた命名についての記録があります。「おはぎ」という呼び名は、宮中の女房詞(にょうぼうことば)に由来し、丁寧語の「お」をつけたものと考えられています。
ぼた餅の起源は鎌倉時代までさかのぼります。鎌倉時代には「かいもち」と呼ばれ、宴席のごちそうとして用いられていました。『宇治拾遺物語』や『徒然草』にも「かいもち」の記述があり、似たような菓子が当時すでに存在していたことがわかります。
地域によって呼び名が異なることもあります。東京では「おはぎ」、大阪では「ぼた餅」と呼ぶことが多く、秋田県では「なべしり餅」、千葉県北部では「合飯(ごうはん)」など、さまざまな呼称が存在します。また、米を半搗きにすることに由来して「半殺し」と呼ばれることもあります。
お彼岸に供える理由には、小豆に邪気を払う効果があるという民間信仰が関係しています。江戸時代から春秋の彼岸にぼた餅を仏前に供え、親類や近隣に贈る風習がありました。また、四十九日や旧暦10月の亥の日にもぼた餅を作る習慣があったとされています。
出典:Biglobe