日本の美意識を リスペクト

日本の伝統的な住まいには、人の心と自然をつなぐ意匠が息づいている。自然の中に宿る美しさを追求したクラフツマンシップもある。その美意識が昇華されて生まれるデザインから真のくつろぎを得る。

Text Mayumi Sakamoto

日本の伝統的な住まいには、人の心と自然をつなぐ意匠が息づいている。自然の中に宿る美しさを追求したクラフツマンシップもある。その美意識が昇華されて生まれるデザインから真のくつろぎを得る。

アマン東京のロビー。中心には壮麗な生け花が置かれた池があり、その両側に石庭を配置。障子に見立てた吹き抜け天井は圧巻。随所に日本らしいデザインを取り入れている。
アマン東京のロビー。中心には壮麗な生け花が置かれた池があり、その両側に石庭を配置。障子に見立てた吹き抜け天井は圧巻。随所に日本らしいデザインを取り入れている。

木や石、和紙といった自然素材が多用されるのが日本の伝統建築である。特に、木には生命力や温(ぬく)もりが宿り、空間の中にあるだけで心地よさが感じられる。

一方で日本の住まいは間取りにも心地よさの秘密がある。部屋と部屋、部屋と廊下が、障子で仕切られることで与えられる開放感。縁側を通して室内と庭とがゆるやかにつながり、自然との一体感も感じることができる。閉じたり開いたりが自在になり、用途に合わせて暮らしを作ることができるところも日本家屋の魅力だ。のびやかな開放感の中に自然素材を多用することで、さらなる心地よさが生まれる。

チャールズ&レイ・イームズ夫妻や、イサム・ノグチ、アルバ・アアルト、ジョージ・ナカシマといった20世紀を代表するデザイナーたちは、日本の伝統や文化に影響を受けたといわれている。イサム・ノグチの和紙の灯(あか)りや、ジョージ・ナカシマの家具はいまも人気が高く、審美眼の高い人たちを魅了している。

素材としての木に第二の人生を与えるという独自の哲学で、多くの名作家具を世に出してきたジョージ・ナカシマの木への向き合い方には職人魂がある。あるがままの木を生かし彩色を加えず、もともとの美しさを限界まで生かすという独自の技法。モダンデザインと日本の伝統的な職人技を融合しているが、「和洋折衷」という言葉では片付けられないセンスとオリジナリティーがある。感性に響くデザインとでもいえばいいだろうか。自然の美しさを理解し、リスペクトしているからこそ生まれるクラフツマンシップだ。一生ものと呼ぶにふさわしい存在感を漂わせながら空間になじむ人を優しく包み込む。

イサム・ノグチの照明彫刻「AKARI」。岐阜提灯との出会いから生まれた和紙と竹からなる光の彫刻。
イサム・ノグチの照明彫刻「AKARI」。岐阜提灯との出会いから生まれた和紙と竹からなる光の彫刻。
ジョージ・ナカシマの代表作の一つでもある「ラウンジ アーム」。木の自然そのままの美しさを表現した家具。
ジョージ・ナカシマの代表作の一つでもある「ラウンジ アーム」。木の自然そのままの美しさを表現した家具。

東京で人気のラグジュアリーホテルが、日本の伝統文化や自然素材をリスペクトしたインテリアを取り入れていることも興味深い。アンダーズ東京でデザインを担当したトニー・チー氏は、和紙と折り紙をインテリアのモチーフにしたという。アマン東京のデザイナー、ケリー・ヒル氏も木や石、和紙を使い、日本の伝統建築を昇華させた新しいスタイルで注目を浴びている。ともに外資系ホテルだが、日本の美意識をリスペクトしたデザインがそこかしこに息づいている。

たとえば、アマン東京のロビー。障子に見立てた吹き抜け天井が高さ約30mというスケールで広がり、そのダイナミックさに驚く。壁面の和紙を通して拡散される柔らかい光によって全体が包み込まれ、昼間はフロア側面の全面窓から差し込む陽光とあいまった開放的な明るさを、夜は日本独特のほのかな明かりが醸し出す荘厳な雰囲気を楽しむことができるという。

自然の中にある美しさ、それを生かすクラフツマンシップ。日本の美意識からインスパイアされる感性は懐かしく、それでいて洗練されている。日本の伝統や文化、昔ながらの住まいの中にヒントはある。

※『Nile’s NILE』2016年11月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。