出合いは1954(昭和29)年。当時5歳の多岐さんがお店で食べた15円のかき氷は、饅頭や団子、煎餅よりワンランク上のおやつだった。
「和菓子屋の奥にちょっとテーブル席がある、甘味喫茶のような店でしたね。大人は『スイ(水)、くれ』とか言って、砕いた氷に砂糖をかけた氷水を注文していました。
子どもは甘いシロップのものが好き。私もいちごからメロン、レモンと渡り歩きました。たまーに倍の値段がするあずきも食べましたっけ。お菓子って、大福でもケーキでも不思議と『いちごに始まって、いちごに終わる』みたいなところがありますよね」
まだ電気冷蔵庫が普及していない時代、氷の塊を売る店は多かったと多岐さんは振り返る。
「当時は、単なる木の箱の氷冷蔵庫というのがありました。中が2層になっていて、上段に氷の塊を入れ、冷気で冷やすスタイルです。トラックで町を巡回する氷屋さんに、よくおつかいに行かされました。荷台に積んだ巨大な氷をノコギリでパッカーンと切り分ける様子がかっこよくて、『大人になったら氷屋さんになる!』と憧れたくらいです」
かつて氷は生活に根差していて、大切なものだった。だからそんな氷を削っておやつにするという発想は、一般家庭にはあまりなかった。
そんな多岐さんは社会人になった頃、再びかき氷に惹かれた。出版社に勤め、関西の書店回りをしていてカルチャーショックを受けたのだ。