伝統のスペシャリテを守るための挑戦

特集「羊たちとの友情」

Photo Masahiro Goda  Text Hiroko Komatsu

特集「羊たちとの友情」

伝統のスペシャリテを守るための挑戦、羊特集、5月号
創業当時からシェ・イノのスペシャリテとして人気の「仔羊のパイ包み焼き“マリアカラス”風」。パイ包みの本体は手島純也さんが作り、仕上のソースペリグーは、オープン時からシェ・イノに在籍し、井上旭さんの右腕として長年シェ・イノを担ってきた2代目シェフの古賀純二さんが担当している。

「仔羊のパイ包み焼き“マリアカラス”風」といえば、日本のフランス料理史における不朽の名作である。創業40年のグランメゾン「シェ・イノ」の創業者である井上旭(のぼる)さんが、当時はまだあまり人気のなかった仔羊肉を、なんとかおいしく食べてもらいたいと創作した料理だ。

仔羊肉のフィレ2本の間にフォアグラをたっぷりとはさみ、パイ生地で包み、焼き上げたところに、トリュフをふんだんに加えたソースペリグーを添える。40席余り昼夜満席に近い店舗に訪れるゲストのうち、今でも多い時で7割以上が注文するという、まさに伝統のスペシャリテなのである。

現在、そのシグニチャーを受け継ぐのは、2022年に「シェ・イノ」の名跡を継いだ3代目シェフの手島純也さんだ。

「実はこの一皿との出合いが、文字通り私の料理人人生を変えてくれたのです。仕事を始めて1年くらい経ったころ、東京へ食べ歩きに出かけました。その時に2軒目で食べたのが、シェ・イノのこの一品でした。あまりのおいしさに驚き、その日のうちに、働かせてほしいと電話をかけたのを覚えています」

では、何がそれほど優れているのかということを、改めて、料理人としてこの一品に真摯に向き合っている手島さんに聞いてみた。

「仔羊肉の個性は生かしながら、いやなところの一つもない状態に仕上げているところですね。癖ともなりうる脂肪などを完璧に取り除いています。オーストラリア産の仔羊を使用していますが、パイで包んで焼き上げるという加工には、そのほうが向いています。仕上げのペリグーソースの豊かな滋味と甘みを完璧に受け止めてくれるのです」

40年近く受け継がれているその料理には数量化されたレシピはなく、口伝で継承されてきたレシピを踏襲しているそうだ。それゆえ、もちろん細かい変化はある。現在も日々その精度を高めているという。

「どんな大看板でも、進化がなければ飽きられてしまいます。今回もやはりシェ・イノのスペシャリテは変わらずにおいしかったな、という印象を変えずに進化していくことは非常に大変ですが、それに挑戦することは、料理人としては大きな仕事だと思っています」

手島さん自身の料理としては、フランス産の仔羊肉を骨付きのままローストし、濃く煮詰めたジュを添えて出している。フランスでは最も高級な肉として取り扱われている通り、手島さんも仔羊肉は最も好きな肉だという。そうした自分の料理を突き詰めていくことと、真摯に受け継がれる料理を守っていくことは、両立するのだろうか。

「当店に来てくださるお客様にご満足いただくことが一番の重要事項だと思っています。その中でシェ・イノのカラーをまとわせながら、自分の料理も磨いていきたいですね」

3代目の作る「仔羊のパイ包み焼き“マリアカラス”風」は末永く安泰なのであろうと思わせられた。

伝統のスペシャリテを守るための挑戦、羊特集、5月号
左はオーストラリア産仔羊のラムラック。中央は骨や脂肪などすべてをはずしたフィレ。右が、そのフィレにフォアグラなどをはさんで1本にしたもの。このあとパイ生地で包んで焼き上げる。
伝統のスペシャリテを守るための挑戦、羊特集、5月号、手島純也
手島純也 てしま・じゅんや
1975年、山梨県生まれ。甲府の老舗フランス料理店「キャセロール」で修業後、2001年、26歳で渡仏。「ステラマリス」で吉野建氏に師事。その後、5年間にわたり、三つ星レストランからカフェまで幅広く経験を積む。07年に帰国、芝パークホテル「タテル ヨシノ」料理長、同年9月に和歌山「オテル・ド・ヨシノ」料理長に就任。2022年10月より「シェ・イノ」料理長。

シェ・イノ
東京都中央区京橋2-4-16 明治京橋ビル1F
TEL 03-3274-2020
www.chezinno.jp

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※『Nile’s NILE』2024年5月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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