天ぷらは挑戦、素材の旨みを引き出す
天ぷら職人歴52年。「てんぷら近藤」の近藤文夫氏は、長きにわたりこの道を開拓してきた名人中の名人だ。71歳になる今も昼、夜ともにカウンターに立ち続け、お客の目の前で天ぷらを揚げ続ける。
近藤氏のキャリアの始まりは、御茶ノ水の「山の上ホテル」。ホテル内の「てんぷらと和食 山の上」にて18歳で修業を開始し、23歳で料理長に就任。「店が厳しくて、先輩たちが辞めちゃったから」と笑うが、当時、同店はホテル内の不採算店。社長から「何をしてでも売り上げ上昇を」との命令が下り、近藤氏は考えた。
「天ぷらを和食の添えではなく、ジャンルとして確立できないか」と、フランス料理、イタリア料理、日本料理を考察。そこで「天ぷらにも野菜が必要」と着目する。24歳の時に社長の同意を得て、当時魚介類のみが基本だった専門店の天ぷらでは異例の、「野菜の天ぷら」を打ち出した。
「『野菜なんて総菜』『邪道』と随分たたかれましたよ」と近藤氏。さらに、野菜の風味と色を生かすには薄衣が向き、揚げ具合も色づかない程度が最適である、と工夫したが、これも従来とは正反対としてたたかれた。
しかし、お客からは強い支持を獲得。それを支えに、近藤氏は自分の信じる天ぷらを追求する。細切りのにんじん、厚みのあるさつまいも、そら豆のかき揚げ、アスパラガス……。次々と新しい天ぷらを創作し、それらは今では多くの店で定番として浸透するまでに至っている。
さらに、長く「職人の勘」とされてきた天ぷらの技術を、書籍で詳しく公開。
また、「天ぷらは余熱(蒸し)料理」と唱え、天ぷらを新しい視点から捉えなおした。天ぷらは「ただ揚げる」のではなく、奥深い加熱技法であることを、後進の職人たちに、また世間一般の人たちにわかりやすく伝え続けてきた。
「なぜ新しいことをしたり、技術を積極的に言葉で説明してきたかというと、天ぷらに廃れてほしくないから」と近藤氏。「天ぷらは挑戦です。素材の旨みを引き出す。それが我々の仕事」と誇りを持つ。
「若い世代の職人に、これからもずっと天ぷらをもり立てていってほしいですね」
近藤文夫
1947年東京都生まれ。御茶ノ水「山の上ホテル」内「てんぷらと和食 山の上」の料理長を務め、同店を天ぷらの名店に押し上げる。1991年「てんぷら近藤」を開業。著書、テレビでの出演多数。
●てんぷら近藤
東京都中央区銀座5-5-13 坂口ビル9F
TEL 03-5568-0923
※『Nile’s NILE』2019年1月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています