カクテルは明治時代、“欧風化の波”に乗って日本に渡来した。と言っても、庶民にまでファン層が広がったのは戦後のこと。1950年にトリス・バーが誕生したのがきっかけだったという。杉本壽氏が東京ステーションホテルに入社して「バー」(後の「カメリア」)に配属されたのは、その9年後。以来60年にわたって、日本のカクテル文化の担い手の一人として活躍した氏は、まさに時代が選んだ「カクテル界の申し子」とも称すべきバーテンダーのように思う。
……などと言うと、重鎮然とした姿や物言いをイメージするかもしれないが、まったく逆。杉本氏は軽やかにして和やかな人だ。シェイカーを振るリズミカルでしなやかな動き、飄々とした語り口、笑みを絶やさない穏やかな顔つき。氏の存在そのものがカクテルにオリジナルの味わいを添える。
「新米の頃はよく商売上の親父さんを質問攻めにしたものです。うるさがりながらも親父さんは『本場のアメリカに行ってみるか』と勧めてくれて、1964年にニューヨーク万博の『ワールドフェア』に参加するため、渡米しました。その時にはやっていたのがタンカレーというジン。これをベースにしたマティーニが大人気。日本にはまだ入ってなくてね。あとウイスキーソーダを注文したら、2度が2度ともジンジャーエールが出てきたのには閉口しました。どうやら子供に間違えられたらしい。この時飲んだデュワーズというスコッチの味を今も懐かしく思い出します。もちろん滞在11カ月間ずっと、誰にもとがめられず自由に酒を飲んでましたね」
そんな杉本氏の手に成る“令和カクテル”は、一つが新時代の幕開けを祝し、「ROKU(ロク)」と「奏Kanade<抹茶>」という新しい日本のクラフトのジンとリキュールを使った「M191」ペア。ドライタイプの「上り」はキリリとしたパンチのある味わいで、スイートタイプの「下り」はグレープフルーツがきいたフレッシュでやさしい風味だ。「特に京都宇治産の抹茶と玉露をふんだんに使ったリキュールがいいでしょ? このカクテルを作るのに1カ月くらい待って、手に入れました」という。カクテルに浮かぶハート形のオレンジの皮には「愛に満ちた時代になるように」との願いが込められている。