もともと料理の評価が高かったバスク地方だが、1887年、摂政となったマリア・クリスティーナが、サンセバスティアンに夏の王居を構えたことからコンチャの浜はロイヤルビーチとも呼ばれ、ヨーロッパの上流階級が集うリゾートとして有名観光地となっていった。そうした中、世界から訪れるリゾート客に向け、旧来の伝統料理依存から脱しようと、若いシェフたちが研究してレシピを共有し合ったことから、新しい料理が次々にレストランのテーブルを飾るようになった。レシピのオープン化で、サンセバスティアンのバル「ラ・ヴィーニャ」の人気メニューであるオリジナルのチーズケーキを、今では日本のスペイン料理店で食べることもできるのだ。
この動きが始まったのは1970年代のことで、中心にいたのが当時からすでにヨーロッパでは屈指と言われていたレストラン「アルサック」のオーナーシェフであるフアン・マリ・アルサックである。彼に触発されたフェラン・アドリアは、世界で最も予約が取りにくいと言われたレストラン「エル・ブジ」を率いることにる。フェランの影響は世界に広まったが、当然それはバスクの若いシェフたちの料理、そしてバルのタパスにもおよび、次々に新しい料理がバルから生まれた。
ピンチョとは「串」のことで、代表が酢漬けの唐辛子にアンチョビ、そしてオリーブの実をようじで刺したヒルダ。往年の女優でセックスシンボルとして人気を誇ったリタ・ヘイワースが演じた映画『ギルダ(1946年公開)にちなんだもので、女性の曲線美を表していると言われ、今でも定番のピンチョスである。