「美食のバスク 前編」から続く
ピンチョスの誕生
褐色に乾いた高原地帯が広がるイベリア半島だが、北端のカンタブリア山脈が北の海に一気に落ち込む一帯は緑に恵まれ「緑のスペイン」とも呼ばれる。そのカンタブリア山脈が東端でピレネー山脈と交わりビスケー湾に落ち込んだところにサンセバスティアン(バスク語ではドノスティア)がある。
モンテ・イゲルドとモンテ・ウルグルという二つの岬に挟まれ、コンチャと呼ばれる美しく広い砂浜の湾に面した街サンセバスティアンは小さな漁港として始まるが、やがてカスティーヤ王国の重要な羊毛の輸出港となる。しかしスペインがフランスによる占領からの独立戦争末期の1813年8月31日、ナポレオン軍の侵攻で街は焼失。その後再建されたのが現在の旧市街で、憲法広場を中心にフェルミン・カルベトン通りや、わずかに焼失を免れたことにちなむ8月31日通りを始め、自慢のピンチョスでしのぎを削るバルがひしめきあっている。
スペイン人の暮らしに欠かせないのがバル。そこではおつまみとも言えるタパスと呼ばれる軽食を出すところが多い。そのタパスがサンセバスティアンを震源に小皿料理として進化したのがピンチョスだが、その歴史はそう古いものではなかった。