美食のバスク 前編

イエズス会を創設し、キリスト教布教のため東洋に向かったバスクの男たち。働くことの価値を守り、頑固だが革新性に富んだ彼らは食の世界をも変えた。

Photo Chiyoshi Sugawara Text Chiyoshi Sugawara

イエズス会を創設し、キリスト教布教のため東洋に向かったバスクの男たち。働くことの価値を守り、頑固だが革新性に富んだ彼らは食の世界をも変えた。

バスク
カウンターに積まれたキノコの山。サンセバスティアン旧市街の「ガンバラ」はキノコ料理が人気の老舗バル。右下はポピュラーな食材でギンディージャと呼ばれる細長の青唐辛子。

名高達郎がアリハソッツェと呼ばれる石を持ち上げるバスク特有のスポーツに挑戦したアリナミンAのCM、また司馬遼太郎が週刊誌の連載「街道をゆく」で旅し、緒形拳がピレネー山脈のロンカル谷の村で一年間過ごした記録のTV番組「風の谷の 虹の村」を覚えている人は少ないだろう。いずれも1980年代のことで、「バスク」という言葉が身近になったのはこの頃だと思われる。

バスク人とは誰か

バスクとは民族の呼称であると同時に固有の歴史と文化圏を示す地域の呼称である。地中海から西に向かって約430㎞、ヨーロッパ大陸とイベリア半島を隔て、スペインとフランスの国境を成すピレネー山脈がカンタブリア海に落ち込むあたりに広がる。現在ではスペインの4県とフランスの3地域を含めた約2万㎢がバスク地方と呼ばれている。芸術や美食の地として世界の耳目を集めているバスクだが、終始ミステリアスな印象がつきまとう。まず言語である。バスク語は他のどの言語とも関連性がなく、インド=ヨーロッパ語が広まる以前からあった系統不明の言語と言われ、そのバスク語を話す人々の住む地域がバスクなのだ。

バル
(左)バスク特有のワイン、チャコリは高いところからグラスに注ぎ泡立てサッと飲む。このサーブ方法はエスカンシアと呼ばれるが、ビスカイア産などはエスカンシアをしない。(右)天井から下がったおびただしい数の生ハムは、スペインのバルではおなじみの風景。下に付けられたのはハムから溶け出す脂受け。広口のグラスはチャコリ用だ。

言語は民族文化の核であり、それゆえスペイン内戦時のゲルニカ爆撃を始め、フランコ政権時代には激しい弾圧を受け、バスク語は禁じられた。歴史上イベリア半島にはケルト、ゲルマン、ローマ、イスラム・アラブと多くの民族が入ったにもかかわらずその影響も少なく、バスク人の起源は詳しく分かっていないという。

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