灘の酒を少年が北風の中を駆け回ってたくましく成長する「男酒」とするなら、吟醸づくりは風邪をひかせまい、おなかをこわさないようにと、手をかけて育てる「女酒」と例えられる。仙三郎の軟水醸造法は、「広島流吟醸づくり」として高められ、安芸津や竹原など県内各地で優れた酒がつくられるようになった。その中でも西条(さいじょう)が頭角を現したのは、醸造に適した気候風土と、中国山地の花崗岩から湧き出る名水に恵まれていたため。また、日本初となる動力式精米機を生み出した佐竹利市や、それをオーダーした賀茂鶴酒造の創業者、木村和平らの立役者がそろっていたことも大きい。1894(明治27)年、山陽鉄道が敷設される際に、西条駅の誘致のために動いたのも木村和平だ。鉄道の開業により、大量運搬ができるようになったことで、西条の酒づくりは急激に発達し、煉瓦(れんが)づくりの煙突と、赤瓦を葺(ふ)いた白壁の酒蔵が続く酒蔵通りが誕生した。西条の酒は、広島杜氏の技術力の高さとともに瞬く間に知られるようになる。
オバマ大統領と安倍首相の会食の席で供された「大吟醸特製ゴールド賀茂鶴」の賀茂鶴酒造、優れた酒づくりの技術により、全国から杜氏が学びに訪れた「西條酒造学校」の母体である福美人酒造、版画家の棟方志功が愛し、ロゴのデザインやラベルの絵を提供している白牡丹(はくぼたん)酒造など、現在も個性豊かな七つの酒蔵が酒蔵通りで酒づくりを続けている。その一つひとつに、象徴的な煙突が立ち、井戸から湧き出る仕込み水が清涼な趣を添えていた。福美人酒造の「美人の井戸」、亀齢(きれい)酒造の「万年亀(まねき)井戸」など、それぞれに名付けられた仕込み水は、龍王山の伏流水をくみ上げたもので、各蔵元が試飲できるように開放している。大正から昭和にかけて繁栄した西条では、当時モダンだった洋館を事務所として使っている酒蔵が多いのも特徴的だ。
毎年10月には、西条はもちろん全国約800の銘酒が試飲できる「西条酒まつり」が行われ、20万人以上の人でにぎわう。酒蔵通りの蔵の見学もできるので、ほろ酔い気分で今に続く酒都・西条を歩いてみたい。