Palermo
地中海への進出
イタリア半島統一から8年後、ローマは戦争によって、海外へと領土を拡大していく。前264年に始まったポエニ戦争(第1次)では、当時、地中海の海上交易を掌握していた強国カルタゴと戦う。この時ローマは、シチリアをアフリカ進出の足場とするべく、カルタゴに代わって地中海を支配することを考えていた。そして、前227年にカルタゴから地中海の制海権とともに、海外初の属州としてシチリアを手中に治める。属州とは、イタリア半島以外のローマの征服地のことである。
ローマはシチリアに、軍事、司法、民政の全権を持つ総督を置いて統治する。もともとシチリアでは、農業が盛んで、ローマ市民の食糧としての穀物を供給し続け、ローマ帝国の繁栄を支えることになる。後に、シチリア生まれのギリシャ人の歴史家ディオドロスは、第1次ポエニ戦争に関して「シチリアは(ローマ)帝国の拡張に非常に貢献することができた最も高貴な、最も華麗な島である」と回顧したという。
「権威」を重んじたローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの統治から200年間、ローマは「パックス・ロマーナ(ローマの平和)」という最盛期を迎える。ローマ帝国の支配のもと、地中海には大きな戦争は起きず、平和に繁栄した。もちろん、この間に領土を最も広げ、経済や文化も発展。ローマ文明が地中海に広がっていった。
※『Nile’s NILE』2025年1月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています