戦前の京都は、昭和天皇の即位礼にふさわしい、古の都の風格を備えていた。華やかな花街文化が隆盛を極める一方で、モダンな芸術も登場し、優れた近代建築が建ち並び、街のインフラも整備されていった。京都ならではの艶やかな都市文化が咲き誇った時代である。しかし、世界恐慌や日中戦争の影響を受け、雅の都にも失業者が増え、軍事色が強まっていく。茶屋や料亭も次々と閉店に追い込まれていったが、幸い京都は戦災被害が少なく、街はほぼそのままの姿を留めることができた。
戦後、多くのモダン建築が一時進駐軍に接収され、活用されるとともにアメリカ文化の影響も強まった。花街や伝統工芸は衰退しつつあったが、高度成長期の波のなかで住宅や公共施設・設備の復興が進む。モダン建築の多くは良好な状態で残されていたため、取り壊されることなく改修を経て生まれ変わり、用途を変えながら今日まで活用されている。
その後、古都観光が人気となり、社寺や古い街並みに惹かれて多くの旅行者が京都を訪れるようになった。一方で、モダン建築は長らく専門家以外からは注目されなかった。しかし、2000年頃から建築史研究や保存運動が進み、京都モダン建築祭をきっかけに広く一般の関心を集めるようになった。
本建築祭実行委員長であり、京都工芸繊維大学准教授の笠原一人氏は、「商業都市・大阪で活躍したのは、利益を生みだす建築を目指そうとするアメリカの影響が強い建築家だったが、京都のモダン建築をリードしたのは、プロフェッサー・アーキテクトと呼ばれる大学などの教員を務める建築家だった。彼らは利益を顧みず、ヨーロッパ由来の最先端の理論を追求した。それは学術都市・京都ならではのものだったと言える。都市の性格の違いが、建築のつくり方にまで影響する」と話す。
ドイツの哲学者であるヘーゲルが「芸術はその時代の精神を表現するものであり、建築はその最初の、もっとも外的な形態である」と記しているように、当時の京都の都市文化と生活を知らしめるような昭和期のモダン建築を紹介したい。いけずな京都とはまた別の姿が垣間見えてくるだろう。

