祈りと海賊の街
尾道

かつて、瀬戸内海には「日本最大の海賊」とおそれられた村上海賊がいた。戦国の歴史の一翼を担い、その命運を神に祈った村上海賊のDNAは、今も瀬戸内の島々や街に息づき、脈々と受け継がれている。坂の細道から瀬戸内海を望む尾道は、江戸時代に北前船で栄えた寺町だ。穏やかな奥ゆかしさの中に、旅人を迎え入れる港町ならではの開放的な空気が薫るこの街は、志賀直哉を始め、多くの作家や文化人たちをひきつけてきた。

Photo TONY TANIUCHI  Text Rie Nakajima

かつて、瀬戸内海には「日本最大の海賊」とおそれられた村上海賊がいた。戦国の歴史の一翼を担い、その命運を神に祈った村上海賊のDNAは、今も瀬戸内の島々や街に息づき、脈々と受け継がれている。坂の細道から瀬戸内海を望む尾道は、江戸時代に北前船で栄えた寺町だ。穏やかな奥ゆかしさの中に、旅人を迎え入れる港町ならではの開放的な空気が薫るこの街は、志賀直哉を始め、多くの作家や文化人たちをひきつけてきた。

因島の白滝山にて、五百羅漢像から瀬戸内海と島々が織り成す風景を見渡す。頂上には村上海賊の因島村上氏の当主、村上吉充が観音堂を建立したとされている。

海に残された、海賊どもの夢の跡

三島の大山祇神社は、村上海賊が武運を祈って神に奉納したという連歌が残る。香や茶にも通じ、高楼を擁そなえた文化人としての側面も持つなど、複数の顔を併せ持つ民であったようである。
その起源は南北朝時代の14世紀にさかのぼる。伊予(現・愛媛県)の新居大島を拠点とした南朝方の武将・村上義弘に子がなかったため、その家督を継ぐために農閑期から村上島村氏が結束したためである。

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    生口島にある国宝 向上寺(こうじょうじ)三重塔。石山合戦の第1次木津川口合戦で、村上海賊とともに毛利水軍の武将として戦った生口氏の創建。三重塔は多島美と調和した美しさを誇る。
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    因島村上氏一族の墓地。供養のために造られた、一族のものとされる宝篋印塔(ほうきょういんとう)18基と多数の五輪塔が並ぶ。かつて分散していたものが、一族の菩提寺の裏山に集められた。
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    石鎚(いしづち)蔵王権現が祀(まつ)られた千光寺「くさり山」の上から、海と向島を見渡す。この絶景が見られるよう、岩山をよじ登るための鎖が取り付けられている。
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村上海賊の“免許”として有名なのが、織田信長と頭如率いる浄土真宗本願寺勢力が対立した10年にわたる石山合戦の活躍だ。第一次木津川口海戦において、信長に兵糧攻めにされた本願寺から救援を頼まれた毛利家が村上海賊に協力を要請。毛利水軍と村上海賊による10万石の兵糧を積んだ兵糧船と兵船を合わせた約100隻が木津川口に攻め寄せた。

迎え撃つ織田方は真鍋七五三兵衛ら泉州海賊300隻。毛利方は多勢といえども大多数が兵糧船であったため熾烈な戦いとなったが、村上海賊が“焙烙玉”と呼ばれる兵器で織田の船を次々と炎上させて勝利した。海における村上海賊の強さを世に知らしめた戦いだった。

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    25の古刹が連なる尾道では、至るところで寺社の存在が目に入る。豪商たちは地元の人々に仕事を与えるためにも寺を建てたという。人々の祈りに支えられた、信仰の街だ。
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    坂の街、尾道の風景。緑に彩られた坂道を、木造の家々や海を眺めながら歩く。ひっそりとした小道では人に会うことも少なく、志賀直哉が生きた時代に歩いているような気分になる。
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    志賀直哉旧居。この部屋で『暗夜行路』の草稿を始めいくつかの作品を書いた。冬には隙間風が入るため、当時は高級品で街でも持っている人が少なかったガスストーブを置いていたという。
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村上海賊は長らく独立勢力を保ったが、この木津川口の戦いで三島村上氏すべてが毛利家に協力している。因島村上氏は、6代当主村上吉充が、毛利元就の流れをくむ小早川隆景率いる小早川家の重臣・乃美宗勝の妹を妻に迎えるなど姻戚関係にあり、以前から毛利・小早川家にくみしていた。

最後まで独立勢力を保った村上海賊の英雄的武将・能島村上氏の村上武吉も自身こそ参戦しなかったが、長子の元吉らを派遣。いかに「日本最大の海賊」といえど、戦国の時代に独立勢力であり続けるのは難しかったようである。時代が、村上海賊を追い詰めていったのだ。

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決定的となったのは、1588(天正16)年、豊臣秀吉によって出された海賊禁止令である。これにより、村上海賊は海の支配権を失った。そして、関ケ原の合戦で毛利率いる西軍についた村上海賊は、敗戦によって島を追われることとなる。ここに、村上海賊は終焉を迎えた。

現在も、瀬戸内海の島々には村上海賊の足跡が数多く残っている。緑に覆われたいくつもの城跡の他、印象に残るのは彼らのもう一つの顔を思わせる祈りの跡だ。大山祇神社や海難を防ぐという浪分け観音、海での戦没者や先祖をとむらう無数の墓がある。

因島村上氏が観音堂を築いた白滝山には、海に向かって祈る五百羅漢像が据えられている。海を制した強者どもは海を愛し、その脅威を知るがゆえに、己と一族の命運を祈った。その祈りの跡を訪れると、時を超え、彼らの思いにわずかながら触れたような気がするのだ。

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    宝土寺(ほうどじ)の門からアーケード街を望む。千光寺山中腹の志賀直哉旧居からも近いため、街へ出るときは直哉もこの風景を眺めたかもしれない。手前には線路が敷かれている。
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    築100年の古民家を改装したカフェ「チャイサロン ドラゴン」。尾道にはこのような古い建物を利用したモダンな店が多く、他県出身の若者が新たに事業を始めるケースもある。
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海を見下ろす細道を歩く

現在、因島や生口島、大三島など、村上海賊ゆかりの島々を結ぶ瀬戸内しまなみ海道の起点である尾道は、村上海賊と関わりを持った地の一つだ。江戸時代には北前船の寄港地として栄え、力を持った豪商たちが競うように寺院を寄進し、一時は80を超える寺院が立ち並んでいたという。今も25の古寺が連なる寺町である。

尾道観光で有名なのは、千光寺山の頂に位置する千光寺だ。806年に開基された古刹であり、そこには本堂や大師堂ほか、修験者がよじ登って修行したという「くさり山」などの奇岩・巨岩がゴロゴロと、一種異様なただずまいで鎮座している。

尾道駅から海沿いの道を進むと、片方に瀬戸内海の多島美を眺めつつ、片方には古寺が見え隠れする坂の細道がのびている。尾道は、車ではドライブするだけでも派手さはないが、後ろ髪を引かれる雰囲気が美人のような趣のある街だ。

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    木造3階建てを活用した店花街の雰囲気を残す路地は郷愁を誘う。 。木製の舵輪(かじわ)がかけられている。
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    花街の雰囲気を残す路地は郷愁を誘う。
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    かつての花街の路地にも木造の立派な建物が残る。
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    れんが造りの建物が目を引く純喫茶「ポエム」。
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    オコゼなど瀬戸内の魚を提供する料亭旅館「魚信」。
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    昔ながらの雰囲気を持つ花街。志賀直哉も訪れたそう。
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だが、その本当の魅力を知るには、ぜひ車を降りて歩いてみるべきである。路地に入ると、ひしめき合うように立つ木造家屋にいくつもの店が並び、かつての花街には今も小料理店やスナックが密集している。

商店街には昔ながらの洋服店や商店もあれば、かつての銭湯の建物をそのままカフェにしたような新しい店もある。さらに山のほうには、一人一人ようやく通れるほどの細く曲がりくねった坂道の向こうに、思いがけず立派な家が立っていたりする。

ひと息ついて見下ろすと、坂の上から海の景色が開けていた。

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    居酒屋「上高地」の看板。細い路地に店が並ぶ。
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    「洋酒喫茶 貝の店 ロダン」。中が気になる店も多い。
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    『東京物語』のロケ地にもなった割烹旅館「竹村家」。
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    店名がユニークな商店街のパン店「パン屋航路」。
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    銭湯「大和湯」の建物を残し、カフェ「ゆーゆー」を営業している。
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    COFFEE WINE SALON「Chiko」。「スナック チコ」の看板も。
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志賀直哉の見た尾道

「今も多くの人をひきつけるこの街は、小津安二郎の『東京物語』を始め、数々の映画や文学作品の舞台となってきた。千光寺公園の『文学のこみち』には、尾道に関する歌や作品の碑が25も連なっている。

「のどかさや 小山つづきに塔一つ」正岡子規。少女時代を尾道で過ごした林芙美子は、尾道ゆかりの作家を代表する存在だ。『放浪記』から以下の文章を抜粋した碑が見られる。

「海が見えた、海が見える。五年振りに見る。尾道の海はなつかしい。(…)」——(林芙美子『放浪記』)

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    市の重要文化財に指定されている尾道商業会議所記念館。
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    アーケード街にある「鉄板や 海物」。店内もレトロな雰囲気。
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    自転車店をリノベーションした「UZUSHIO ZAKKATEN」。
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    外国人にも人気のゲストハウス「あなごのねどこ」。
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    商店街にあるプライベートスタジオ「Primitive moire」。
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    「上田玩具店」をそのまま活用したナチュラル雑貨の店。
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文豪・志賀直哉もまた、尾道にひかれた一人である。父親との不和が原因で東京を離れた直哉は、1912(大正元)年の秋から翌年の中ごろまで尾道に家を借りて住んでいる。それからも時折上京したため、尾道で暮らしたのは通算半年ほどだったという。

尾道を舞台とした短編『清兵衛と瓢箪』を発表したほか、代表作『暗夜行路』の草稿もこの地で執筆した。『暗夜行路』には、主人公・時任謙作の体験として直哉自身が見た尾道が表現されている。

「六時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。(…)」(志賀直哉『暗夜行路』)

千光寺山の中腹には、志賀直哉の旧居が残されている。三軒長屋の一角の質素な部屋で、日常の食事や洗濯は隣に住む老夫人に頼んで暮らしていたという。この部屋からの風景も『暗夜行路』につづられている。

「景色はいいところだった。(…)」——(志賀直哉『暗夜行路』)

尾道が志賀直哉をひきつけたのも、この街が瀬戸内海の街として、さまざまな時代を紡いできた歴史を持っているからだろう。文中の石切り場は跡しかないが、造船所は今も健在だ。

この辺りは、第1次世界大戦中に因島が日本一の造船量を誇ったほど造船業で栄えた地でもある。そこには遠く、村上海賊のDNAが息づいていたに違いない。

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    尾道と並び称されることの多い、瀬戸内の歴史ある港町、鞆(とも)の浦の街並み。戦国時代には大内氏の勢力下となり、因島村上氏の村上吉充に与えられた。鞆の浦には弟の村上亮康(すけやす)が派遣されている。
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※『Nile’s NILE』2017年7月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています。

ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「Nileport」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。