紫式部は社会派の作家です

Photo TONY TANIUCHI  Text Junko Chiba
みたむら・まさこ
1948年東京生まれ。上智大学文学部教授。早稲田大学大学院博士課程修了。フェリス女学院大学文学部教授等を経て、2009年より上智大学文学部教授を務める。専攻は『源氏物語』『枕草子』など。主な著書に『記憶の中の源氏物語』(新潮社)、『源氏物語 物語空間を読む』(ちくま新書)、芸術新潮編集部との共著『源氏物語 天皇になれなかった皇子のものがたり』(新潮社)などがある。2009年『記憶の中の源氏物語』で蓮如賞を受賞。

源氏物語以前、物語は男が書いて女に提供するものだった。それは基本、「女はこの程度のものを喜ぶだろうな」という想定の下で書かれたハッピーエンドのラブストーリー。しかし源氏は全く違う。三田村雅子氏は「天皇になれなかった光源氏が、最終的に天皇を超える准太上天皇に上り詰める、その立身出世物語と男女の恋愛物語を絡めた骨太の社会派小説」だと断じる。

「男たちが記録した正史には、上っ面を取り繕うウソが混じっている、紫式部はそう感じたんですね。膨大な漢籍を読んでいましたから、例えば『史記』を読むと、秦の始皇帝は密通の子で王様の子供ではなかったんだとか、高祖劉邦の側室・戚夫人は残酷ないじめにあっていたとか、驚きの連続だったでしょう。そんなふうに中国では赤裸々な歴史が書かれているのに、日本の歴史は万世一系のきれい事ばかり。そんなわけはない。闇に葬られた歴史があるはずだ。誰も書かないなら私が書く。そのくらいの気概をもって、源氏に挑んだと思うのです。物語を書いているという意識より、新しい歴史を書くんだという気持ちが強かったと」

源氏物語には随所に、漢籍にある話や古い和歌などが引かれている。後に一条天皇が「歴史書をよく読んでいる」とほめたほどの、紫式部の教養の豊かさを物語るだけではなく、正史のウソを暴くように話を展開するために必要な仕掛けでもあったのか。「殺人や不義密通など、現実の世界では建前として許されないことを引き受けるのが物語という虚構のジャンルなんです」と言う三田村氏の言葉に、深くうなずく。だから人々は、表向き実直に生きるだけでは満たされない思いを物語に求める。源氏物語が時代を超えて幅広い読者を獲得してきた背景には、現実と物語の対称構造があったわけだ。「あと一つ、時代的に皇統がかわったタイミングだったから書けた、という部分もあります。陽成天皇が宮中で殺人事件を起こして、別の皇統の光孝天皇が即位したんですが、そういうことが現実に起こり得るとなって虚構の扉が開かれた。在原業平の不義密通を中心とする伊勢物語が、皇室のタブーを初めて取り入れた作品ですが、源氏物語はその伊勢物語の影響を強く受け、それを拡大再生産し、さらに大胆に書かれた作品だと言われています。

では源氏物語に描かれた幾多の恋物語は、紫式部が実際に見聞きしたこと、体験したことを題材にしているのだろうか。そんな疑問が浮かぶが、それは「短絡的な発想」だと打ち砕かれた。「源氏物語を書き始めた時、紫式部はまだ宮仕えに出ていません。現実の宮廷をほとんど知らなかったんです。圧倒的な読書量に基づく想像ですよね」とのこと。実際、藤原道長に「あんな色っぽい物語を書くのだから、紫式部はすごく色好みの女だろうね」と“セクハラ発言”をされて、憤慨している。

そんな紫式部が源氏物語を書き始めたのは、夫の藤原宣孝が亡くなった後のこと。つれづれの慰めに、気の合う友人たちと互いが書いた物語を読み合ったことが発端である。

「同人誌仲間のようなものですね。その中で源氏物語は、『次を書いて』とせがまれては続編を書き、長編化したと考えられます。当時、紙は大変高価でしたから、次々に紙を提供する人がいたわけで、それだけ人気があったということですね。そうして源氏物語の評判がじわじわ広がって、道長が『紫式部のような才気あふれる女性を娘の彰子の女房に雇ったら、ハクがつく』と考えた、それが宮仕えのきっかけです。ただ有力なスポンサーが付いたために、ちょっと筆が鈍るんですね。それまで権力者に対して厳しいまなざしを注いでいたけれど、どうしても遠慮が入ってしまう。源氏がいけないことをして、世間との緊張関係を保ちつつ、内に秘めた激しい情熱をほとばしらせる、などというようなぐっとくる魅力が減って、毒のない形になっていくんです。本人もこれではダメだと思ったのでしょう。1008年に彰子に献上する豪華本が完成したその晴れの席の後で、もう一度仕切り直して、権力者を視野の外に置いた“心のドラマ”を書こうと決意したようです。その結果、生まれたのが宇治十帖だと、私は推測しています。でも何と言っても宮仕えは紫式部にとって、決して悪いことではなく、人生や人間のより深い所に切り込むいい体験になったのではないでしょうか」――源氏物語の魅力の根源には、社会を透徹する紫式部の鋭い洞察力があったのだ。

※『Nile’s NILE』2013年11月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています。

ラグジュアリーとは何か?

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