長崎喜遊曲 豊饒と冒険と
そして女たち、永遠の国際都市 長崎

長崎港、山手の外国人居留地、唐人屋敷、出島、花街・丸山……。急な石畳の坂が迷路のように交錯する長崎の町を歩くと、幕末から明治維新にかけての「激動する日本の姿」が見えてくる。それは、産業の近代化と資本主義に挑んだ男たちと、彼らを支えた女性たちがつづったドラマである。

Photo Masahiro Goda  Text Junko Chiba

長崎港、山手の外国人居留地、唐人屋敷、出島、花街・丸山……。急な石畳の坂が迷路のように交錯する長崎の町を歩くと、幕末から明治維新にかけての「激動する日本の姿」が見えてくる。それは、産業の近代化と資本主義に挑んだ男たちと、彼らを支えた女性たちがつづったドラマである。

明治以来、遊郭の“玄関先”のこの場所で歓楽街を受け持つ丸山町交番。石造りのレトロな建物は丸山のシンボル的存在だ。

花街・丸山を支えた女性たち

外国商人や豪商、幕末の志士たちが集う社交の場・丸山には、彼らを陰で支える女性たちがいた。丸山ができたのは1642(寛永19)年で、遊女屋を一箇所に集めた公認の遊郭として始まった。

井原西鶴は『日本永代蔵』(1688)で丸山を「海上の気づかいの外、いつ時しらぬ恋風おそろし」と記し、当時の風流を伝える。幕末の頃の資本主義の風とは趣が異なるが、時代の変化を支えた女性たちの強さは変わらない。

行こうか戻ろうか思案橋――江戸・吉原の影響からか、丸山の入り口の川口橋はいつしか男の心情を映して「思案橋」と呼ばれるようになった。

今の丸山を支える二人の女性

最初に訪れたのは丸山随一の妓楼・引田屋の流れをくむ史跡料亭花月。日本初の洋間「春雨の間」に立つと、龍馬や勝海舟、岩崎弥太郎、小曽根英四郎、大浦慶、グラバーらが出入りした気配が今も漂う。

花月21代女将 加藤公子さん

女将の加藤公子さんは、ここが単なる遊興の場ではなく、幕末の志士や商人たちの情報交換の場だったと語る。いろは丸事件の歌「春雨」を作った部屋でもある。

雲仙の湯元ホテルに生まれた公子さんは、料亭業一筋。長年、佐世保の山翠楼で女将を務めていた
が、事情があって実家に帰っていた時に「30年間、女将不在の花月にというお話をいただいて、雲仙の山を下ってまいりました」とのこと。1995(平成7)年から花月の女将を務めている。

現役芸妓・長崎検番会長 梅奴さん

もう一人は長崎検番の会長・梅奴さん。三味線、鼓、歌、踊りに生きた芸妓の凛とした姿勢は、丸山文化を今に伝えている。「芸妓衆は口が堅い」という言葉に、彼女たちが幕末の密談を守り抜いた強さが感じられる。

ミカン山が広がる西彼杵郡長与村(現・長与町)の商家に生まれた梅奴さんは、小学校1年生の時に置屋を営む叔母の養女に。小学校を終えた年、芸一筋の芸妓人生が始まった。踊りと気風の良さで人気を取り、1995(平成7)年に長崎検番会長に就任。1977(昭和52)年の検番発足から数えて3代目だ。

中国の風

長崎を語る上で欠かせないのが中国人=唐人の存在だ。南蛮貿易開始の16世紀から鎖国中も交易は途切れなかった。新地蔵所に蔵が建てられたことを起源に、後に中華街へと発展した。

さらに、孫文を生涯支えた梅屋庄吉の存在も重要だ。二人は香港で出会い、「アジア人の屈辱をそそぐ」という志を共有した。梅屋の支援は革命史に深く刻まれている。

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    諏訪神社
    戦国時代にイエズス会の教会領となった長崎では、市内の諏訪・森崎・住吉の三社がなくなった。長崎の産土神として再興されたのは1625(寛永2)年のこと。絢爛(けんらん)豪華にして異国情緒あるれる大祭・長崎くんちは日本三大祭の一つに数えられる。
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    銅座川が暗渠化された後に、歌謡曲『思案橋ブルース』のヒットで有名になった思案橋。一目見たいと大勢の観光客が訪れたため、橋の欄干と親柱をデザインした碑が建てられた。
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    中国革命の父と呼ばれた孫文は長崎を9回も訪れており、決まって鈴木天眼の東洋日の出新聞社があった油屋町を訪ねたという。鈴木天眼も、孫文の革命運動を支援した。
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    大浦慶の実家はこの地で200年近く続いた油問屋。土蔵が三つ並ぶ大豪邸で、お慶は1884(明治17)年に数え年57歳で亡くなるまで、油屋町のこの家で暮らした。
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旅の締めくくりに、世界新三大夜景に認定された長崎の夜景を稲佐山から眺めた。光の粒が、日本の近代化を牽引した多くの傑物たちの魂の輝きに重なる。重層する光は未来へと受け継がれていくだろう。

長崎の夜景(稲佐山から)
長崎湾を中心に、山々に囲まれたすり鉢状の地形により、特異な夜景が広がる。稲佐山のほか、鍋冠山、風頭山、長崎県美術館、グラバースカイロードなどでも、それぞれ趣の異なるすばらしい夜景を楽しめる。

※『Nile’s NILE』2013年4月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています。

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ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「Nileport」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。