青山・表参道の価値をつくってきたもの
青山・表参道はおしゃれで最先端かつ大人の街のイメージが強いがこの街にも昔からの老舗はある。
商業やオフィスビルが通りに面して新しい人気の店舗がこの街をつくっているかのような錯覚に陥るが、学校や団地がありここにも多くの人々が暮らしている。
そして、今日も開発は続いている。
紀ノ国屋のDNA
1910(明治43)年に果物商として創業し、1953(昭和28)年にセルフサービス方式による日本で最初のスーパーマーケットとして開業した「紀ノ国屋」。以来、常に青山の食をリードし続けているといえよう。何かと移り変わりの激しい土地で100年以上、その存在感を保ち続けることができる理由はあるのか。紀ノ国屋インターナショナル(以下青山店)の副店長の西田清悟氏に聞いた。
「私はここ青山店の副店長として店を預かる前は、鮮魚部門に従事していました。この経験からお話しすると、紀ノ国屋と他社様との違いは、生鮮部門にあると考えています。現在、紀ノ国屋には、地域密着型の郊外店舗、駅中にあるコンビニのような店舗などがありますが、旗艦店である青山店には、ここでしか手に入らない“目利きしたもの”を数多くそろえています。競合するスーパーマーケットとの違いも同様に、まさしく希少な生鮮食品ですね。例えば、広い築地市場の中でも、厳選された品質の良い塩鮭は数量が限られていますが、私どもはその限られたものを買い付けすることができます」
なぜ、紀ノ国屋では、限られたものを買い付けできるのか。西田氏は「諸先輩方が長年築いてくれた信頼関係があるからこそ」というが、それだけではないはずだ。
「鮮魚部門のバイヤーをしていたころは、週5回、買い付けの際は、築地に足を運んでいました。常に市場に足を運んで、仲買人など市場の人たちと顔をつなぎ、いい情報をもらってお客様に最良のものを提供するという流れを繰り返してきたのです。そうすると、銀座のすし屋で食べた、あの魚を取り寄せてほしいという、途方もないようなリクエストにも紀ノ国屋のネットワークを使えばお応えすることができます。
あと、100年以上店を構えている青山には、食通のお客様が多いです。こうしたお客様から『あれはないの?』と質問され、それをできる限り調達できるよう努力します。さらにより良いものがあれば、こちらからご提案します。私は釣りが趣味で、神奈川や静岡の港でとれる魚のことは熟知しています。どこの漁港でどんな漁法でとった魚なのか。また、同じ魚でも、川や海の状況や、環境の変化による産地、旬の移り変わりも調べています。出張した際には、漁師さんらと知り合いになって、現地の細かな情報を入手しています。今後は店を預かる者として、例えば地元だけで消費されているような、希少でおいしい魚を目利きするくらい、他のカテゴリーでも各部門でも提案をしていきたいです。」
西田氏しかり、紀ノ国屋の各部門のバイヤーは、商品知識が豊富なうえ、希少な良いものだけを販売しているし、安全性にも最も配慮している。「現地に行ってモノを見て、生産者と話してから仕入れること」をモットーとしていた創業者・増井徳男のDNAが紀ノ国屋では脈々と受け継がれている。それこそが紀ノ国屋らしさなのだろう。
創業125年の歴史
青山・表参道の歴史を語るにあたり、欠かすことのできない存在が表参道交差点の一等地に立つ創業125年の「山陽堂書店」。ノスタルジーを感じさせる青い唐傘を差した子供の壁画が有名なこの書店は、明治神宮よりも歴史が古く、第2次世界大戦、東京オリンピック、バブル景気をこの地で経験し、青山・表参道の移り変わりを見つめてきた。
「私は中学2年生の頃からここで店番をしていますが、客層もここから見える風景も随分変わりました」と当時を懐かしむように話すのは4代目店主の遠山秀子氏。
「創業当時の1891(明治24)年ころはこのあたりにも家がポツンポツンとしかなく、狸でも狐でもない動物が夜になるとしっぽで戸をたたくという話を聞きました。1920(大正9)年に明治神宮ができ表参道が整備されました。戦前はお屋敷町が広がり静かな場所だったと祖母がよく言っていました」
戦後、代々木にワシントンハイツができると、青山・表参道にもアメリカ文化の香りもするようになったと言われているが、1964年の東京オリンピックあたりからこの街はさらに変わっていったようだ。
「当時このあたりでは、VANの石津謙介さんのアイビールックが流行し、ファッションの街として青山・表参道というものが築かれていったように思います」
その後1960年代後半からはDCブランドの店もできはじめ、ファッションの街として成長していくこととなる。
東京オリンピックの開催に伴い、開催の前年に青山通りの拡張で「山陽堂書店」の建物は3分の2が削られることになり現在の店舗の形に。「建物の面積が少なくなってしまうので、行政からは代替地の提案もあったのですが『小さくなってもこの場所にあるのが大事』とお客様が言ってくれたこともあり山陽堂書店はこの場所に残りました」
さらにバブルの影響で街の様相や客層も変わっていったという。「バブル前、青山には戦前から住んでいた方が結構いらっしゃいました。けれどもバブルを機に、さまざまな理由で青山を去っていかれました。代々続く戦前からのお客様が、その頃より少なくなってきて美容院などが増えてきた覚えがあります」
立地がよいこともあり、バブル期にはこのあたりの地価が跳ね上がった。遠山さんのお父様がバブルの初めころに亡くなり相続税も前年に比べ一気に上がったという。支払うのに長い期間を費やしたというが、それでもここを離れない「山陽堂書店」には、この場所に存在することの誇りを感じた。
「30年くらい前までは、地元の方や男性のお客様が多かったのですが、ここ20年くらいは圧倒的に女性客が中心です。本の品ぞろえはお客様にヒントをいただいています」
時代とともに、客層が変わりその時代に合わせて進化する「山陽堂書店」。これからもこの場所で青山・表参道の移り変わりを見続けてほしい。
Premium Residence Area
青山・表参道の土地の価値について、「東京のなかでは極めて安定した資産価値を保てるエリアの一つという認識を持っていますね」と語るのは、オラガ総研株式会社代表取締役の牧野知弘氏。
牧野知弘ホテルや不動産の開発・運用アドバイザリーのほか、事業顧問や講演活動を展開。主な著書に「空き家問題―1000万戸の衝撃」(祥伝社新書)「2020年マンション大崩壊」(文春新書)などがある。
歴史ある武家屋敷であり 高台に位置する青山
それはなぜなのか。まず、歴史的観点から見てみるとその理由の一つがわかってくるという。
「青山・表参道エリアは東京都内でも比較的地盤の安定した高台に位置し、もともと武家屋敷でもあった非常に歴史のある土地。なぜ、武家屋敷がよいかというと、江戸時代以前に徳川家康が関東平野に来て今の東京の基盤をつくったのですが、土地には必ず歴史があります。今も昔も日本は災害が多く、人々は水辺の近くではなく好んで高台に住んだ。なるべく地盤が安定し、津波などの被害がない高台に住むのがお決まりで、城下町ができても、偉い人ほどいいところに住みます。そういった、いわゆる、いいところの代名詞が『山の手』というエリアなのです」
そんな「山の手」の江戸以来の代表格として青山・表参道というエリアが挙げられるのだという。
「もともと、不動産業界ではそういったエリアを、地位が高いというのです」
表参道駅の真上という抜群の立地に1970年からそびえ立つ。風格すら感じる外観だ。芸能人、作家、経営者などの著名人に愛されてきた。
原宿、六本木、渋谷の トライアングルの真ん中
ではなぜそのエリアが、現代でその地位を維持し続けたのか。
「青山・表参道の立地的な部分も大きいでしょう。原宿、六本木、渋谷のトライアングルの真ん中あたりに位置するのが青山・表参道。原宿はファッション、六本木は歓楽街、渋谷は商業とビジネスが混在しビットバレーとしても発展した街。こういったトレンドの集まる街のちょうど中心にあるという部分が影響しているのだと思います」
トライアングルの真ん中にあるだけで、青山・表参道がその地位を維持できるのだろうか。
「真ん中に位置するということは、どこからでも人が集まりやすい場所ともいえるので、エリアとしての価値を維持するうえでものすごく有利といえるでしょう。また、今や表参道駅は多くの地下鉄が走り交通利便性もよいため、立地的に非常によいポジションにあります」
確かに立地的に見て人が集まりやすいエリアであれば、そのエリアは発展し、その地位を維持するのだろう。ただし、人が集まるというだけではなく、街の新陳代謝がきちんとなされることで、街が活性化するのだと牧野氏は付け加える。これが青山独特の雰囲気をつくっているのだと。そしてこのポジションが一番不動産的に見て安定する環境だとも。
その証左となるのが青山の構成要素としてオフィスと住宅と商業がきれいに混在していることだという。
「人が生活するとなると、住むだけではなく、働く、遊ぶ、買い物するという要素が必要で、それが青山・表参道にはすべてあります。渋谷は住むという印象はやや薄く、六本木はいい意味での猥雑な街としての印象もある。猥雑さがなく、落ち着いて住むことのできるエリアが、青山エリアといえます。また、高級住宅街の松濤、広尾、麻布などは、住宅地のイメージが強く、商業のイメージがあるのは、青山・表参道エリアくらいではないでしょうか」
景観に配慮し計画された街 青山・表参道
さらに、都市計画的にみても、青山・表参道エリアは非常に整った街だという。
「青山霊園、明治神宮、青山御所があるので、都会なのに緑が豊かです。また、街全体として見て、あまり高層の建物が建たないよう容積率が制限されているエリアが多いのです。例えば、青山通りの北側はあまり大きなものが建たないように都市計画がなされています。既存の建物が低いのもありますが、裏側が住宅地で日影規制が厳しいのもあり、高層の建物が建てられないのです」
その代表格が「同潤会アパート」だった。現在は「表参道ヒルズ」に建て替えられたが、この建物を保存しようという運動もあった。また、建物は高さ制限を受け、このエリアの景観にマッチしたデザインとなり、同潤会アパートの一部も復元建物として残された。こういった歴史や景観に配慮した開発ができるのも青山・表参道が魅力あるエリアだからこそ、という部分が大きいのではないかという。
さまざまな要因が絡み合い、青山・表参道の土地の価値がつくられてきたが、その価値が発する魅力が、街のコンテンツであり、そのコンテンツがあるからこそ、人々を魅了し、街としての新陳代謝がなされる。
「これからの街づくりは、ただ箱モノをつくるのではなく、コンテンツ勝負。青山・表参道は、今のコンテンツがある限り、この価値を持ち続けるだろう」と牧野氏は展望する。
マンションは区分所有建物。つまり老朽化していく建物に複数の所有権が存在している。建物の老朽化を防ぐためには多くの修繕費を払い続ける必要があるわけだが、古いマンションでも一定の価値を保ったビンテージマンションとなるためには、この修繕費をきちんと賄える環境にあることが前提となる。
「もともと、青山・表参道エリアにあるマンションに住んでいるのは富裕層が多い。そういった人々は、必要な修繕費をきちんと支払えるので、建物をきれいなまま保つことができます。人間にたとえると美しく老いるというイメージでしょうか」と牧野氏。
また、ここでも新陳代謝が必要だという。青山のような土地としての価値があり、かつ建物としての価値も修繕により比較的維持されたマンションであれば、売却をしたり賃貸に回したりすることもできる。投資マネーも含めてマンションにおカネが注がれていくことで価格が維持されるのだという。
※『Nile’s NILE』2016年2月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています。

