テンポのよさと美麗な映像で人々を引き付け、ブームをけん引したのはテレビアニメ版・映画版だが、それは原作コミックスではまだまだ序盤戦の話。本来的なこの作品の醍醐味は、キャラクターが出揃い、本格的なバトルが開始される9巻以降にある。原作に魅了された湯山玲子氏が考える本作の魅力とは。
大衆文化のフレームが与える安心感
そもそも、日本人は集団で戦う物語が大好き。戦隊モノを始めとして、伝統芸能の分野、歌舞伎でも一大ジャンルを形成しています。
例えば『白浪五人男』『忠臣蔵』など、一人ひとりのキャラクターが立っている上で展開される集団ものというのは歌舞伎というフォーマットにぴったりなんです。
逆に言うと、この構造を持つ作品は、人気が出やすいということ。『鬼滅の刃』が連載された「週刊少年ジャンプ(以下、ジャンプ)」でも、『ONEPIECE』(尾田栄一郎)はじめ、集団もののバトル漫画は枚挙に暇がありません。『鬼滅の刃』もまさにそれです。
そして、息つく暇もなくいくつものエピソードが進行していく、ジェットコースター的展開も本作の魅力の一つでしょう。意味をいちいち考えていたら追いつかない。奇想天外なアイデアの洪水に巻き込まれていく快感は、山田風太郎の「忍法帖」シリーズや、アメリカの名ドラマプロデューサー、ションダ・ライムズ(『グレイズ・アナトミー』)などにも通じるセンスが感じられますね。
こういう感覚が、未来への期待や希望を抱きにくい現代において、将来は知ったことではなく、ただただ「(生きている実感の)強度」を求める現代人の嗜好にフィットしているのだと思います。
「優しさ」は個性の一つでしかない
フォーマットの面では、昔ながらの日本人的センスを引き継ぎつつ、キャラクターたちの生き様はかなり現代的。従来的な日本の組織論を覆す新しい価値観を提示しているのも、この作品の魅力の一側面でしょうね。
それを端的に表すのが、主人公である竈門炭治郎の裏表のない優しさです。彼は、鬼にも手を差し伸べ闘うために心を犠牲にするハードボイルドとは真逆のメンタリティの持ち主。心から他者に寄り添うことができる人間です。
競争社会で生きているのですが、その中でも他者への優しさとか憐れみとかを当たり前に持っている。とはいえ、だからこそ、強いんだという紋切り型のヒーロー像ではなくて、ちゃんとそこが弱点にもなっているそのリアリティーにグッと来ました。
また、鬼という共通の敵との闘争という熱いテーマがありつつ、『自分の生き方は自分で決める』という、いい意味で個人主義のセンスが随所に込められているのも特徴的です。どのキャラクターも鬼を倒すために共闘はしますが、「同じ目的のために!」というような連帯感は見せない。
炭治郎の動機が復讐にあるように、それぞれ内発的なエネルギーで動いています。「柱」と呼ばれる最上位の力を持つ剣士たちも、自分だけの「燃える魂」を持って鬼と戦っています。
例えば映画版で最強の鬼「十二鬼月」の一人と対峙する炎柱の煉獄杏寿郎。段違いの実力を持つ鬼に捨て身の戦いを挑み、観客の涙を誘いましたが、それは単なる「神風アタック」ではなく、あくまで彼自身の正義・モットーを貫くための闘いでした。
集団バトルものではあるのですが、ここには軍隊的な「滅私奉公」は存在しないんですね。同じ釜のメシを食い、辛い訓練に一緒に耐えるといった体育会系同志愛をエネルギーにしていない。エネルギーは全て自分の中から出していかなきゃいけない、そこがとても“今っぽい”と思います。