小説『すいかの匂い』より
すいかを食べると思い出すことがある。九歳の夏のことだ。母の出産のあいだ、私は夏休みを叔母の家にあずけられてすごした。両親と離れるのははじめてのことだった。
(中略)
「あなたもさっきちっとも食べなかったわね。すいか、好きでしょう?」
おばさんが、なめるような視線を送りながら言った。なんだかへびみたいだ、と思った。
畳に置かれた大きなお盆には、すいかが山のようにならんでいる。一つとってかぶりつくと、だらだらとしるがたれた。口いっぱいに甘い冷気がひろがる。
(中略)
みのるくんが二切れ目のすいかに手をのばし、私はお盆をみてぎょっとした。まっ黒な蟻がたくさん、すいかにたかっている。お盆にたまったしるにも、そばに置かれた包丁にも、蟻はぞろぞろ行列していた。
(中略)
みのるくんは少しも頓着せず、蟻がたかったままのすいかをかじった。
蟻は、みずみずしく赤い大地の上を右往左往している。
※『Nile’s NILE』2021年9月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています