大阪昭和情緒のテーマパーク
新世界とは、通天閣やジャンジャン横丁、今は撤去された巨大フグ提灯などが有名な大阪市南部の下町を指す。明治36(1930)年の第5回内国勧業博覧会を機に、まったく新しい街(=新世界)として、駅や公園などが整備されたのが始まりだ。
地名は別だから、串カツ屋の店員に「新世界とはどこからどこまでなのか」と聞いたら「そら、この辺り一帯の、入り口と出口に『SHINSEKAI』のゲートがある界隈のことです。まあ、USJみたいなもんですわ」と返ってきた。
規模こそ大きくはないが、昔ながらの大阪らしい飲食店がひしめく新世界は、確かに明治から昭和の生きたテーマパークのようだ。そしてここは、大阪を舞台とした多くの歌謡曲の舞台となった街でもある。アーケード下のジャンジャン横丁に足を踏み入れたときから、BGMになつかしの歌謡曲が流れてきた。
男を支える女
80年代、90年代の大阪歌謡曲には、かつて大阪で活躍した将棋棋士の坂田三吉、落語家の初代桂春団治の名が繰り返し登場する。いずれもその道を極めるとともに破天荒な生き様で人気を博した名士であり、そんな男たちを陰で支える女の情や強さ、かわいさを歌ったヒット曲は数多く存在する。
83年に発表された都はるみと岡千秋のデュエット曲『浪花恋しぐれ』でも、そうした男女の物語が歌われている。
(男)芸のためなら女房も泣かす
それがどうした 文句があるか
(中略)今日も呼んでる
ど阿呆春団治
(女)そばに私がついてなければ
なにも出来ない この人やから
泣きはしません つらくとも
(中略)惚れた男の 惚れた男の
でっかい夢がある
奇才、坂田三吉
坂田三吉は貧しい生まれで、丁稚奉公の合間に覗き見た町角の縁台将棋で将棋を学んだという奇才である。賭け将棋で頭角を現し、後に棋士として獅子奮迅の働きをするが、生涯文字は読めなかった。
そんな三吉の数奇な人生と糟糠(そうこう)の妻、小春との物語は勝新太郎主演の映画『王将』にもなり、大阪の魂として愛され続けた。86年に発表された米倉ますみの『浪花めおと駒』でも歌われる。
わての生きかた 八方破れ
(中略)坂田三吉 将棋と酒に
うつつぬかしてジャンジャン横丁
降るは小春の 涙雨 涙雨
安くて旨(うま)い新世界グルメ
芸があろうが、女房を泣かして酒と女に溺れる生き方は令和には受け入れられまい。ただ、まだ暑い日に新世界を歩いた後の串カツとビールは、もう少しこの街に埋もれていたいと思わせる旨(うま)さだった。すじ肉を煮込んだどて焼きは濃厚で、日本酒が進むのもしかたなし。うどん1杯170円の新世界グルメは、安くて旨いが当たり前の大阪の真骨頂だ。
木津卸売市場と食い倒れの街
大阪の歌と食文化は縁の切れない仲にある。飲食店で身を立てようとする男とそれを支える女という構図が頻繁に登場するのだ。たとえば、川中美幸の『なにわの女』。
ひょんなことから 小店を持った
なにわ女と 流れ板
祭りのあとの エーエー
あとはよくある 艶ばなし
「流れ板」とは板前のことである。通天閣から歩いて15分ほどのところに、新世界から難波あたりの人々の胃袋を支える木津卸売市場がある。お好み焼き用のバラ肉に、だし用のかつお節や昆布、ずらりと並んだソース類。大阪の旨いもんはここから作られている。
織田作之助の小説『夫婦善哉(めおとぜんざい)』では、金持ちで食に目がない男・柳吉の談として「彼にいわせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といっても南に限るそうで……」と、大阪ミナミの飲食店を挙げている。石川さゆりは同作をモチーフとした『夫婦善哉』でこう歌う。
他人(ひと)には見えない
亭主(おとこ)の値打ち
惚れたおんなにゃ よく見える
(中略)憂き世七坂… 夫婦善哉
今日も可愛い 馬鹿になる
男の未熟さは承知の上で、かわいらしさを演じてみせる。それが大阪の女の情であり、強さなのだろう
「浪速嬉遊曲 —道頓堀から法善寺横丁へ—」と続く