自然と書いて「しぜん」と普通は読む。しかしあるときからこれを「じねん」と読む場合があることを知った。古神道の教えを集中的に学ぶことを許されるようになってからだ。
この関連でよく聞かれることがある。「なぜ古神道を学ぶことになったのですか?」
この問いに対する答えを述べる前に、まずはそもそも「古神道」とは何であるのかについて説明しなければならないだろう。「神道」というと普通、私たちは神社という祭祀のための施設があり、それを拠点として行われている信仰の体系だと考えている。そして「神道」の中心となっているのが現在、神社本庁である。そのことにも疑いを抱く方はほぼいないであろう。
しかしよくよく考えてみると「神道」にはそもそも経典がないのである。「言挙げしない」というのがその根幹にある神道は、結局のところその教義は真髄になればなるほど「口伝」によって伝えられているのである。となると、ある意味「形をもったもの」にその中心を求めるのはどうかということになってくるわけであって、究極において「神道」とは本物になると「口伝」で教え、教えられる、連綿と続く人々の連なりによって支えられている体系であるというのが本当のところなのではないかということになるのだ。
事実、我が国における「神道」は第2次世界大戦における敗戦直後、徹底した弾圧を進駐軍から受けた。米国の側からすれば自らに軍事力をもって歯向かうことになった原動力がその信仰の力にあったとするならば、その根絶に意を用いたことは想像に難くない。そうした中で現在の「神道」を巡る目に見える体系が創り上げられたわけであるが、したがってそれは米国勢から見て「許容される範囲」における在り方でしかないということにまずもって留意しておかなければならないのだ。

