「自然とは、野生とは、人間とは」を突き付ける

本の食べ時 第5回 君島佐和子

本の食べ時 第5回 君島佐和子

本の食べ時 第5回、「自然とは、野生とは、人間とは」を突き付ける
『ともぐい』
河﨑秋子著/新潮社/ 2023年11月刊/ 1,925円

獣害がいっそう加速している印象を受ける。先日、長野県佐久市で行われた農家を囲むイベントに参加したところ、テーマが鹿だった。一人で畑を耕す女性の有機農家までもが罠(わな)猟の免許を取得したという。鹿が罠に掛かれば、農家仲間と共に止め刺しから解体まで行う。仕留めたからには「いかにおいしく食べるか」を重視して、30分~ 1時間以内に処置を終えるようにさばく鍛錬にいそしむと聞き、猟や解体が中山間地農業の必須技能になりつつある現状を知った。

フレンチやイタリアンを主たる取材領域にしてきたこともあって、シーズンになるとジビエに接してきた。調理過程をつぶさに追うプロセス取材も、猟の同行取材も経験している。野生ゆえに個体差が大きく、筋肉質で火入れがむずかしいジビエ肉を、若き料理人たちは早く一人前に扱えるようになりたいと励む。欧州のジビエ文化をいかに体得するか。作り手にも食べ手にも憧れと願望があることは間違いない。

対して、丹精した畑を荒らす鹿に立ち向かう農家のメンタリティーは、たとえ「いかにおいしく食べるか」を大事にする点は共通しようと、かなり異なる。前述の有機農家は「鹿を殺すことには抵抗があった」と語る。しかし、畑の大豆の8割を食べられるに至った時、「鹿とケンカする」決意をした。「鹿は私の畑を資源にしている。大地に生きる生き物として、鹿と私は対等。ならば、もう遠慮はすまい」。畑を巡る食うか食われるかの闘いであり、彼女にとっては生存を懸けた闘いなのである。

第170回直木賞に輝いた『ともぐい』は食の本ではない。明治後期、北海道の人里離れた山中で猟犬と暮らしながら、獣を狩って生きる男の物語だ。帯に書かれた文言は「新たな熊文学の誕生!!」。だが、食の観点から人間と自然、人間と野生動物の関わりを見てきた私には、この小説のさまざまな描写に、食に通じる要素が感じられて仕方がない。

昨今、自然の中に拠点を構え、森や野山といった環境を味方に付けながらレストランを営む料理人が世界的に増えている。動植物の生態を把握し、共存を図りつつ、料理へと生かすわけだが、『ともぐい』の主人公の、彼の存在そのものが自然であるかのような圧倒的な感知能力に、料理人たちの目指す境地の極致もしくは源流を見るのである。

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ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「Nileport」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。