世の中にはなってみないと分からないことがある

時代を読む 第131回 原田武夫

時代を読む 第131回 原田武夫

時代を読む――原田武夫 第131回、世の中にはなってみないと分からないことがある

かつてこんなことを聞いたことがある。「世の中にある物はなぜか皆、右利きの人のために作られている。だから左利きの人たちは四六時中、何かというと苦労している。それでも右利き優位の世の中だから、全く状況が改善される兆しがない。左利きの人数があれほどいるのに……実に不思議なことだ」

最近、理由あってこれとほぼ同じような感覚を抱くことがあった。先日のことだ。週末に街中を歩いていると、トレーニングウェアを着た初老の男性が歩いていた。何気ない光景だったので最初は気にも留めなかった。ところがその数秒後、正面から歩いて来るこの男性が突然左側に雪崩のように倒れたのである。とてもびっくりした。そしてすかさず、「大丈夫ですか?」と声をかけたのだが、男性は「大丈夫です、大丈夫です」と繰り返すだけでもがきながら立ち上がろうとするのである。その気迫に圧倒されたわけだが、まわりには人だかりができていた。

結局、私よりも屈強そうな若者が抱きかかえるようにこの男性を立ち上がらせたわけであるが、その時、ふと思ったのである。「なんだろう、この初老の人物のこだわりは」

そして最近、「超個人的体験」を一つすることになった。「そうなってみてから」ようやく分かったのである。恐らくこの初老の男性は脳卒中のリハビリ中だったのではないか、と。確かに左半身が突然崩れ、倒れていた。しかしリハビリで散歩なので、助けを求めてはならないのである。だからあの「こだわりよう」だったのである。是が非でも自分の力で起き上がろうとされていたのだ。

我が国には脳卒中、さらにはそれと密接に連関しがちな糖尿病を患っている方がごまんといる。健常体の方は全く意識していないと思うが、これらの方々は毎日、「減塩(低塩ではない)」「糖質制限(糖質オフではない)」を厳しく課されて生活しているのである。もちろん、「アルコール」は取ってはならない。早い人だと10代、20代の頃からそうした生活を強いられている。仮に80歳まで生きるとすれば50年以上にもなってしまう。

ところが、である。我が国を見渡すと都市部であっても、これらの食事制限を満たす「外食産業」はほぼ存在していないのである。あってもどういうわけか「減塩」か、「糖質制限」のどちらかなのである。両方を満たす店は都内で探しても数軒しかない。ビーガンが山ほどあるのに対してあまりにも軽視されている。

私は経営者であるので、こういう状況を見て思うのである。「ここにこそ、最大のマーケットチャンスがあるというのになぜ誰も目を付けないのか」。異次元緩和を超えて我が国では景気こそ悪いが、カネを持っている人の数は増えているのである。そしてそうした方々はたいていの場合、何らかの意味で人一倍努力をされてそうなったのであり、だからこそストレス度が高く、結果、この意味で体調を激しく崩してしまう例が多い。人数こそそうではない方々より少ないかもしれないが、資金力という観点では全くもってこちらの方が大きいのだ。ところが、「減塩」「糖質制限」そして「脂質ゼロ」という観点で安心して食事を楽しめるレストランが全くない。だから、少しでも数値が良くなると、普通の飲食店に出向き「今日だけは特別」と自分に言い訳をしながらついつい酒にも手を出してしまう。数年かけてこれを繰り返す中でやがては脳卒中を再発し、あるいは人工透析のとらわれ人になってしまうのである。

「なってみないと分からないこと」というのは世の中にたくさんあるものだ。この雑誌に掲載されている有名店を筆頭に、何とかこの「知られざる広大なマーケット」に乗り出す勇敢なオーナーシェフはいないだろうか? そこに銀のさじが転がっている、と私は信じている。

原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。

※『Nile’s NILE』2024年12月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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