「選ばれるべき者」がいないのにどうやって選ぶのか?

時代を読む 第128回 原田武夫

時代を読む 第128回 原田武夫

「合成の誤謬(ごびゅう)」という言葉がある。少し脚色して説明をするならば、「お互いに良かれと思ってしたのだが、それらが合わさった結果、かえって事態を悪くしてしまった」といった場合に使う言葉である。今回、全世界で起きているのは「民主主義」という不磨であるはずのルールを適用すればするほど、本当の問題の解決から人類社会全体が遠のいてしまっているという現実なのである。

しかし「民主主義」は第2次世界大戦におけるファシズム・全体主義に対する究極の兵器(lethal weapon)として語られ、これまで喧伝(けんでん)‘されてきたのである。まさかこれこそが問題の元凶なのだと今、誰が言うことができようか。

事ここに及んでしまってはやるべきことはただ一つ。「民主主義」という量の次元から、質の次元へとルールを変えることだ。しかしそれがどうやったらば可能なのか。いよいよ私たち人類がホモ・サピエンスから次の「ホモ」へと進化するに当たって課されている本当の試練は、そこにあるのかもしれない。

※『Nile’s NILE』2024年10月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

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ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。