「集団として物事を決めなければならないのであれば、皆で手を挙げ、多数をもって決すれば必ず正解が出てくる」―私たちはそう、学校で教わってきている。いわゆる「民主主義のルール」である。しかし、今私たち全員がこのルール、別名「多数決のルール」こそが道を誤る元凶なのではないかということに気付きつつある。なぜなのか。
我が国だけではなく、米国を筆頭に世界中で選挙が続いているわけだが、そうした中で「選ばれるべき者がいない」という状況にいずれの国々も陥っているからである。例えば本稿執筆時点(2024年8月末)にやかましく報じられている我が国の「自民党総裁選」。「いつもの名前で出ています」といった候補が「政治家としての最終決算のつもりだ」と叫べば、他の候補たちは「世代交代を実現させて党の信用を取り戻す」と叫び返している。しかし誰一人として、冷え込んだ街角景気を取り戻す「秘策」を述べる者はおらず、ましてや「暑すぎる夏」が今後ますますひどくなることが必至の気候変動問題を焦点とする者もいないのである。そして多くの国民は同党の党員ではない中、そこで決められた者が次の内閣総理大臣になるというわけなのだから事態はややこしい。「選ばれるべき者がいないのにどうやって選ぶのか」という以前に、「選ぶ権利すらないのに、なぜそこで選ばれる者を事実上、自動的にリーダーとして追認しなければならないのか」が全くもって釈然としない。
目を米国に転じたとしても全く同じである。「高齢」を理由にバイデン現米大統領が追い出されたのはまだ分かる。しかし対するトランプ元大統領であってもたかだか4歳しか年下ではないのである。なぜ「自分だけは高齢とは言えない」と言い切ることができるのだろうか。また、対するハリス副大統領についても、副大統領時代に何らの目立った貢献がなかったのに「事実上の禅譲」を受けるというのだから難しい。しかも「人種問題」を前面に出す戦略を取っている同副大統領は、副大統領職に選出された時、確かに「黒人の血統」であるのと同時に、「インド系でもある」ということを前面に打ち出していた。米民主党は全ての人種・利益団体に対して総掛かりで(ある意味、その場限りの約束をするという)「アウトリーチ」をもって有権者に対する投票行動を行うことでよく知られている。しかし今回については、トランプ元大統領がとあるイべントで黒人の有名記者からの質問に答える中で、「ハリス副大統領はインド系ではなかったのか?」といぶかしげに語ったことにどうしても納得してしまう自分がいる。かといってトランプ元大統領の「勝つためには何を言ってもいいのだ」という乱暴な姿勢にはもっと距離を覚える。要するに、米国においてもここ一番であるというのに「選ばれるべき者がいないのに選ばなければならない」という、悲劇的な事態が深まっているというわけなのである。
「選ばれるべき者」がいないのにどうやって選ぶのか?
時代を読む 第129回 原田武夫
時代を読む 第129回 原田武夫
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