漢字学
中国では8000年以上も前から羊が飼育されていたという。今から3300年前の紀元前1300年頃である殷(商)代ものと推定されている、漢字の直接の祖先である甲骨文にも「羊」が記されている(図の1)。
これは羊の最も特徴的な部位である角をもった頭の形だ。殷の王は神託を受けるために加工した亀の甲羅(腹甲)や牛・鹿などの獣骨の裏面に火をあてて、表面にできたひびの入り方によって占い、後日その過程と結果とを表面に記録していた。それが甲骨文であり、後の時代(紀元前1000年頃)に作られた青銅器に鋳こまれた文字(金文)などとともに、それら古代文字を読み解くことによって当時の習俗や思想が明らかとなる。
羊が飼われていたことを表す字(図の2)は、牛を鞭でたたく形である「牧」と同様、羊をたたいている形であるが、この字は後に「養」となる。その性質から「群」が生まれ、そのお産の様子から「達」も生まれた。「達」のつくりの部分は「大+羊」であり、これは母羊から子羊が分娩される様子を表している。一般にめん羊はお産が軽いといわれ、「達」のもともとの意味である「とおる」に通じている。「達」の字のつくりが「幸」でないのは、これで理解できよう。
家畜であった「羊」は神へのいけにえとなる
羊はすでに飼いならされた動物であったため、単に衣食住に役立てるのみならず、人間の都合により別の役割を与えられることとなる。それは、神への犠牲と神の意志を伝えるという役割である。
神へのいけにえとなるものは、まずは羊・牛・豚・犬などの動物であった。いけにえの羊は健康で欠陥のないものでなければならない。立った羊の全形を表したものが「美」(図の3)である。外形だけではなく、その肉・内臓・骨すべてが完全なものでなければならず、それを確認し、神へも見せるためにのこぎりで解体した。その様子を表したもの(図の4)が、「義」にあたる。そこから「ただしい」という意味が生まれたのだ。また、羊をのこぎりで解体し脚の垂れた様子が「羲」であり、それに牛を加えたのが「犧↓犠」。いけにえのことを「犠牲」ともいうことがうなずける。
神への犠牲と供されたものは、時には人間であることもあり、捕えられて奴隷となった異民族がその対象となった。中国の西北部(殷から見れば西方)に住んでいた、牧羊をする羌きょうなどがまさに犠牲となった。占い文にも「羌三十人伐さんか」「祖乙(王の名)に羌十五人を侑め羊を卯し一牛を侑めんか」などの言葉が残っており、殷墓に残る数千におよぶ断首葬は、羌人の犠牲のあとであると考えられている。