1980年代から90年代前半の頃のことだったであろうか。「脱サラ」という言葉が流行したことがある。その名のとおり「サラリーマンを辞めて、個人事業主になる」という意味だったように記憶している。当時、大企業に意気揚々と勤めていた私の父も、週末になると晩酌をしながらコッソリと「脱サラして小料理屋でもやろうかな」と言っていたことを今では懐かしく思い出す。この「脱サラ」という言葉、今では完全に死語になってしまった。
「脱サラ」という言葉には何かしらこう、明るいニュアンスがあった。「脱サラと言ってみたところでしょせんそれは酒場で語る戯言。世界一の大国であるニッポンを支える大企業が崩れるわけはないし、ましてや俺たち・私たちサラリーマンを見捨てるわけがない」と誰しもが信じていたのではないだろうか。しかし、その後、時代は暗転する。我が国の「大企業」は軒並み業績悪化に陥り、それまで守ってきたはずの人員を大幅に削減。その代わりに派遣社員なる新しいカテゴリーの要員を使い始め、もはやそこにはかつてのような日本企業的「封建主義」とでもいうべき主従関係は完全になくなり始めた。そして現在に至っている。
そして今。21世紀になって四半世紀が過ぎ去ろうとする現代において、我が国では「リスキリング」が盛んに語られ始めている。しかし、私のように時たま経営コンサルティングの仕事をさせていただき、その延長線上で人事コンサルティングにも携わる身であると、この「リスキリング」という言葉の陰に潜む、ドス黒い企業論理が手に取るように分かるのだ。
「英語」「グローバル化」「データサイエンティスト」「人工知能(AI)」……これらはなぜか私たち日本人の職場の外からいつもやってきた。そしてどういうわけか、職場の中で使いもしないのに「スキルが必要」とされ、次に研修やら資格試験を受けさせられていたというわけなのである。すると当然、これに合格して認められる者たちもいるが、他方で落後する者も数多く出てくるというわけなのだ。そうなると今度は人事当局が厳しいまなざしで見てくる。そしてこう言うのだ。「あなたは時代の潮流に合った能力を、研修の機会を与えたのに身につけられませんでしたね。残念ながらここで降格・降給です」
いや、それで済めば良いのだ。ひどい場合には出向・転籍のリストに載せられ、最後の最後には勧奨退職となる。事実、我が国のマスメディアでは「使えない世代の典型としての団塊ジュニア世代」といった文字が躍っている。大学生になるくらいから「ワープロ」がようやく登場し、しかもグローバル化ではなく「国際化」なので英語は話せなくても何とかなると思われていた時代に青年期を過ごした私たちの世代=団塊ジュニアの世代。その後、平成バブルは崩壊し、一部は就職氷河期に巻き込まれ、そうでない者も外資系に流れるか、あるいは早々と留学した組を除けば実に割に合わないサラリーマン人生を送るものがその大半だった。確かに何度か金融バブルという「チャンス」はあったが、サラリーマンとして会社にしがみつくのに精一杯で、およそ資産形成などしたことがない。ましてや「起業」など、学校で習ったこともないし、危なっかしいものと思えてならないのだ……そうした我が愛すべき団塊ジュニアの世代もいよいよ50歳を超え、人生最初のまとめの時期に到達している。すると、「お上」からいきなりこう言われたのだ。
「あなたの持っている能力は時流にもはや合わない。リスキリングしなさい」
その先に何が待っているか分かるだけに、悲壮感が漂う瞬間だ。死刑宣告に近いかもしれない。しかし、だ。「進むべき道はない、だが進まなければならない」。父が語っていた脱サラという言葉の持つ明るいトーンを懐かしく思い出すのは、果たして私だけだろうか。
原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。
※『Nile’s NILE』2024年1月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています