世間はデジタルトランスフォーメーション(DX)で依然として騒がしい。何かに追い立てられるようにして動いている向きが大勢いる。「なぜそんなに焦っているのか」とついつい聞いてしまいたくなるのだが、本人は大真面目であり、全くもってそういった問いかけには答えそうもない気配がする。だからこちらも問いはしない。その結果、そうした御仁たちはますます加速をつけて飛び去って行く。「その先」は誤りであると、冷静なこちらから見るとあらかじめ分かっているのに、である。
碩学(せきがく)からはこう聞いている。「本当はこの世、すなわち時空間のある宇宙はとある周波数で安定している。そこに一定の流れはあるが、極めてゆったりとしている。むしろ速いのはそうした時空間のある宇宙の『向こう側』だ。これを大宇宙と呼ぶならば、大宇宙は絶えず動いており、かつそのスピードは内奥に近づけば近づくほどものすごく速い。繰り返しになるが私たち人類が暮らしている『こちら側』、すなわち宇宙はゆったりとした周波数で安定している。それが何かのきっかけで両者の境界が決壊し、『こちら側』もなぜか速くなり始めてしまっている。だからこそ、私たち人類は意識的にゆっくり生きる訓練をしなければならないのだが、現状はむしろ逆になっている。これがさまざまな社会問題が引き起こされている本当の理由だ」
通常の科学者であればまず次のように考えるだろう。—時空間がないのが大宇宙の特徴なのであるとすれば、なぜそこで「ゆっくり」「速い」といった時空間を前提とした尺度、表現が可能になるのか。また現実に時空間のある宇宙においては「速さ」を認識できる。これがゆったりと一つの周波数にて安定しているとはいったいどういうことなのか、と。
もっとも現在の物理学者たちの間では「時間は存在しない」というのがもはや常識になっているとも聞く。なぜならば「そのようなもの」として私たち自身が認識しているからこそ「速さ」「遅さ」があるのであって、「時間」も存在しているかのように見えるだけだとそこでは議論されるのである。ただしこれでは答えになっていないことに読者はお気づきであろうか。「時間」だけではなく、それを認識する「意識」もまたここでいうメタレベルでの周波数の産物であると考えるならばどうだろうか。しかもその「意識」はメタレベルの周波数、すなわち時空間がない大宇宙で、例えていうならば振動そのものなのだ。時空間の存在する宇宙とのアナロジーでいうと私たち人類が大宇宙においてそれを認識する際、その根源においては速く、他方で周縁部に周波数が近づくにつれて遅くなるということになってくる。ただしそれも「意識」においてのみなのであって、こちら側の宇宙では時空間に基づく尺度しかないので、あたかも大宇宙では「速さ」「ゆっくりさ」などは全くないようにも見えてしまうのである。
両者をブリッジするのは容易ではない。なぜならばこちら側=宇宙において「意識」が定義する時間と空間が「ない」ことを前提に向こう側=大宇宙を「意識」は想定するからである。しかしだからこそ、仮に向こう側=大宇宙について「意識」が時間・空間「のようなもの」を認識するための尺度があるとするならば、逆にこちら側=宇宙はその新しい尺度では当然には測れないことになるわけだから、実は一定の状況で安定していると見えるはずなのである。このように考えると今こそ必要なのは向こう側=大宇宙における「意識」にとっての尺度であり、その表れとしてのメタレベルの周波数ということになってくる。
ここに「ゆっくり」することの極意がある。なにもいわゆる時空間との関係で「ゆっくり」になればそれでよいということではないのだ。これがたいていの場合、「瞑めい想そう」が無意味であることの理由に他ならない。そうではなくてメタレベルでの周波数との関係においてあたかも止まっているかのようなレベルにまで到達すること。そこで用いられる尺度が全く違う中で「ゆっくりと待つ」ことこそが全てが成就する秘 訣(ひけつ)なのである。実は「待つこと」こそ、豊ほう穣じょうな大宇宙への入り口なのである。冬が訪れる夜長に輝く美しい星々を眺めながら考えていただくのにはぴったりのテーマなのかもしれない、これは。
原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。
※『Nile’s NILE』2023年12月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています