我が国を含めたグローバル社会全体にソーシャルメディアの時代が到来して久しい。しかし問題はそれが「一体何のため・誰のために導入されたのか」である。この点についてよくよく見定めておかないと大変なことになる。しかも私たち日本人全員の身近なところにおいて、である。
ヒトは何でもかんでも知っていればいいわけではないというのがここでの議論の出発点だ。
例えば今夜の夕食を作ろうとその材料を買いにスーパーに出かけたとする。その時、「これは割引」「あれも大安売り」「こちらも特売」と次々に魅力的な値札を見ることになるわけだが、結果として何も買わなくなるのがヒトの習性なのである。それどころではない。えも言えぬ感情に襲われて、その場(スーパー)を立ち去ってしまうのだ。
よくよく振り返ってみるとこんなことを私たちは日常的に繰り返している。すなわち情報が多すぎると選択ができなくなるのだ。それどころか一歩も前進することができなくなり、むしろ後ずさりすらしてしまう。ソーシャルメディアでつながるのはいいが、ややもするとそこで飛び交う情報の洪水に巻き込まれてしまい、自ら何も判断ができなくなってしまう。
それだけではない。ソーシャルメディアを通じた個人間のメッセージ伝達は無料で行われる。そのため、悩みを持っている者は少しでも頼れる(ように見える)者に対して矢のようにメッセージを送ってくる。送ってこられた方は最初こそ、そこに書いてある「悩み」に真正面から答えたりもしているのだが、やがて自らの心も人知れず蝕まれていく。ネガティブな言葉は「言の刃」なのであって、読む側の健全な精神を暗闇へと巻き込む魔力を持っているからだ。洪水のようなネガティブ・メッセージの中で、受け取り手の側は生き残りに必死となり、やがては心を貝のように閉ざすのが常となってしまう。
「私は慣れているから大丈夫。私は自分がしっかりしているから何も影響を受けない」
そう自己暗示をかけて何とか乗り切ろうとする。だが、心の闇を持った者たちはそうして必死に自己を保とうとする側を容赦なく襲い続けるのである。しかもこうした送り手は一人や二人ではない。往々にしてこうした受け取り手は人気のある、快活な人物であるので、「この人だ!」と的を絞られると次から次に狙われることになる。心には「飽和点」というものがある。とりわけネガティブな感情が湧き上がると抑えられなくなり、そこから逃げ出すことで自分自身の心を守ろうとする癖が人間にはある。結果、「しっかり者」で知られるこうした受け取り手は、誰よりも好きだったはずのその場を離れることになる。こうした「場」にはさまざまなものがあるが、往々にしてそれは「職場」であることを忘れてはならない。
とかく経営者になるとこうした「現場」としての職場の実態を見ることができなくなるものだ。「ビジョン」「ミッション」「パーパス」といった美辞麗句を重ねるのはいいが、ヒトには必ず「裏側」がある。その裏側、すなわち心の負の側面について、「昭和」や「平成前期」であれば給湯室や喫煙室の雑談程度で収まっていたものの、今やLINEといった無料のソーシャルメディアを通じて無制限に表現し、露出することが可能になっているのだ。そして一度始まった「負の心の連鎖」はとどまることを知らず、やがては経営者であるあなたの知らないところで巨大な雪だるまとなり、あなたの大事な会社全体を圧殺してしまう。
問題は、こうした状況が我が国、そして世界中で生じている現状の中、一体どこの誰がほくそ笑んでいるかなのであろう。ゲームで最後に勝利するのは、ゲームのルールを創り出したものなのだ。そこでのプレーヤーではない。そのことをしっかりと認識しつつ、今や経営者は「LINEが人知れず蝕む従業員の心」に目を向けなければならないのである。
経営者が「コーチング」の手ほどきを受けなければならない理由は、まさにここにある。なぜならば真のコーチングは「メタ次元の言語に集中し、目の前で語られる負の言葉にとらわれない技術の習得」にあるからだ。そうした意味で経営リテラシーの新時代が始まっている。
原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。
※『Nile’s NILE』2023年11月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています