昨年(2022年)末から我が国で社会全体を震撼させている出来事がある。いわゆる「ルフィ」と呼ばれる指示役を筆頭とした犯罪者集団による、全国的な強盗殺人(未遂)事件の連鎖だ。フィリピン当局とのやり取りを経て我が国の捜査当局がこれら「指示役」を逮捕・拘束し、ようやく事態は収拾するのかと見えたが、その実、今度は東京・墨田区で強盗傷害未遂事件が発生した。捜査当局をあざ笑うかのような展開となったというわけである。
そうした中で、NHKは特集番組で我が国の富裕な階層に属する人々の個人情報を記載した「闇名簿」が日々更新され、その筋の者たちの間でシェアされている可能性があることを丹念な調査に基づき、報道した。
こうした事態が続く背景において、いわゆる「反社会的勢力」が潜んでいることは容易に想像がつく。
しかしいわゆる暴対法や暴排条例で表向き、伝統的な「反社会的勢力」は身動きがとれない(ふりをしている)のである。その一方でこれら「反社会的勢力」を事実上承継しつつも、民間セクターに潜り込み、表向きは一般人と何ら区別のできない暮らしをしているその血縁者たちが大勢いる(いわゆる「二世問題」)。彼・彼女らは法的に見ると「反社会的勢力」とつながっていることが確認できないため、その行動を当局が掌握することはほぼ不可能と言っていい。
加えて「暴対法・暴排条例」によっても規制対象外であるいわゆる「半グレ」と呼ばれる若者たちの集団がいる。いわゆる「反社会的勢力」のいわばアウトソーシングを受けることがままある「半グレ」ではあるが、その行動は依然として分からない部分が多いと言われてもいるのだ。これらが混然一体となって我が国の「新しい闇」を創り出していることが露呈したのが今回の一連の事件であるというわけなのだ。
筆者はこの問題について昨年夏頃より、かの国連SDGsにも語られている「社会的包摂(social inclusion)」にまつわる重大問題の一つであるとして盛んに警告を発してきた経緯がある。そしてその際、暴力性を帯びた「部分社会」に対して同じ目線で対峙しても何ら問題は解決しないのであって、より俯瞰的な視点より大所高所の解決を網羅的に追求していくという意味での「慈愛(compassion)」の精神での対処が必須であると論じてきた。
当時は部分社会の問題といっても少々筋の違う(実際には同根である部分も多いのであるが)「宗教二世」がハイライトされていたことは記憶に新しい。
だが晩秋を迎える頃より事態は一転、部分社会といっても「反社会的勢力」であり、かつその意味での「二世問題」とその周辺へと関係者の目線が移されることになる。
そうした中、対面で接触する機会のあった「反社二世」の人物から私は面と向かってこう言われたことがある。
「私たちは絶対に捕まることがないようになっているのです。絶対に、です」
ギリギリの不法行為が巧みに行われているのに、面子を気にする捜査当局がそれでも「法」にこだわり、行動を起こさない中、新たな被害が生じている。「法」をもって「法を蹂躙する者」に立ち向かうことはできないのか。そう考えた時、結局は「法」そのものを成り立たせている根源的な要素に立ち返っての解決を求めるしかないのではないだろうか。そして我が国における現行の法秩序を成らしめたのは実のところ、海の向こう側なのである。
そうであるならばそこでの「法」と「不法」の間をあらためて整理し、依然として続く「被害」を食い止めるためには、その意味での根源的な整理が必要なのだ。
しからば、何をもってこうした「整理」を成し遂げることができるのか。
元来、「海の向こう」にそうした法秩序の成立を許した我が国における「根源的階層」の意向に留意しつつ、今、「法」と「不法」との間の新たな線引きが至高のレベルで求められているように思えてならない。
原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。