回転寿司のチェーン店で、悪ふざけの限度を超える迷惑行為が相次ぎ、逮捕者まで出る事態に陥っている。
SNSや動画サイトに投稿して、ただ目立ちたいだけなのだろうが、悪質極まりない行為は、連鎖を続けていて、収まる気配はないようだ。こうした行為を行っているのは、大勢の客の数からすれば、微々たるものなのだが、ビジュアルが拡散すると、あたかもそこら中で蔓延しているように思えてしまう。
となれば、決して影響は小さくない。当該の店はもちろん、チェーンの他の店も客が減ったそうだ。
さらには回転寿司店そのものに、不安を感じる客が出てくる。
模倣犯というのか、回転寿司店だけでなく、他の業態の外食チェーン店でも類似行為が行われるに至って、外食全般に影響が及んでいると聞く。
一部が全部、となってしまうのは、広く速く情報が行き届く現代社会の常だろう。
ごく一部の悪行が全体のこととして、とらえられてしまう。言ってみれば勘違いなのだが、今の社会ではこうした勘違いが、いつの間にか事実であるかのように広まってしまう。
いわゆる風評被害と同じような結果を生んでしまうのだ。
馬鹿げた行為が後を絶たないのは、想像力の欠如によるもの、というのが通説になっていて、こういう行為を投稿すればどんな結果になるか、を想像できないからだという。
軽い気持ちでの悪ふざけでも、一生を棒に振る事態になるかもしれない。それを想像する力がない。それに加えて、ただただ目立ちたい、という承認欲求も背景にあるだろうと思う。
そしてその根っこにあるのは、過剰とも言える「映え」ブームだ。
以前の本コラムでも書いたが、いっときはやったローストビーフ丼などがその典型で、食べきれないほどのボリュームが「映え」るとされてきた。
今もその傾向は続き、これでもか、これでもかと大盛りにした料理を、驚くほど安く提供する店にスポットを当てるテレビ番組は、好視聴率を維持しているそうだ。
いかにして視聴者を驚かせるか、を重視してきたメディアと、それを手本にしてSNSや動画サイトに投稿する一般人がいる限り、こうした迷惑行為はなくならないだろう。食のシーンをSNSなどに投稿するのに、なんとかして人目を引きたい、そう思う気持ちがエスカレートした結果、こんな迷惑行為をも引き起こした。
食の本質をとらえることなく、ビジュアルばかりに注目してきたメディアの罪は大きい。
表向きにはSDGsと言いながら、その一方で、食べ切れずに残飯と化すだろう料理を持てはやす。その矛盾を放置していることも、どうにも不思議でならない。
テレビ離れと言われながらも、いまだにテレビの影響は絶大なものがあり、テレビ番組で紹介されると、多くがその食を目指す。その傾向はまったく衰えることがない。深く考えることなく、テレビで紹介されたものイコール優れたものと思いこみ、長い行列をものともせず、どんなへき地であっても押し掛ける。ただただテレビで紹介されたというだけで、価値があると思いこむ。思考停止であり、判断能力の欠如がさまざまな弊害を生んでいる。
もちろんそれは、テレビのみならず、格付けガイド本や、口コミサイトなどの評価もおなじだ。
自分の好みに合うかどうかよりも、他人が付けた評価に頼り、それを店選びの基準にする。なんともバカげた話なのだが、悲しいかな、それが現実なのである。
長く本コラムで書き続けてきたので、またかと思われるかもしれないが、何度でも書く。
格付けガイドがいくつ星を付けようが、口コミサイトで高得点を獲得していようが、すべてが優れた店だとは限らない。
どれほど先まで予約が埋まっていようが、どんなに長い行列ができていようが、その食が自分の好みに合うとは限らない。
メディア情報をうのみにせず、おいしい店は自力で探し出すことを信条としてきたからこそ、いい店に出会えたと思っている。
そのコツはと言えば、一にも二にも想像力。店の外観から始まり、その立地、たたずまいなどから、店のあり様を想像し、行くべき店かどうかを判断する。
想像力を働かせないと、思わぬトラブルやアクシデントに遭遇する。次回はその話をしよう。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。