お茶の間でYMO 後編

1980〜90年代のサブカルシーンにイエロー・マジック・オーケストラ(以下YMO)が与えた影響は絶大で、音楽にとどまらず多岐にわたる。YMOにちょっと向き合ってみよう。

Text Yasushi Matsuami

1980〜90年代のサブカルシーンにイエロー・マジック・オーケストラ(以下YMO)が与えた影響は絶大で、音楽にとどまらず多岐にわたる。YMOにちょっと向き合ってみよう。

イモ欽トリオ大ヒット‼テクノがテレビを席巻

YMOの業績や評価にここで言及するつもりも資格もないのですが、一つ言えるとしたら、音楽愛好家が楽しんでいたテクノというジャンルを、お茶の間に浸透させたのもYMOの功績ではなかったかと。そのきっかけとなったのが、81年にリリースされたイモ欽トリオの『ハイスクールララバイ』だったように思います。
 
欽ちゃんこと、萩本欽一さんのコント番組『欽どん!良い子悪い子普通の子』に出演していた、ヨシオ役の山口良一さん、ワルオ役の西山浩司さん、フツオ役の長江健次さんの三人によるユニットで、YMOとたのきんトリオをもじったネーミング。YMOの人気絶頂期に、作曲・編曲を細野さんが担当した『ハイスクールララバイ』が、累計160万枚の大ヒットとなり、三人は数多くの音楽番組に出演。TBSの『ザ・ベストテン』では8週連続1位の偉業を成し遂げました。
 
この作詞は松本隆さん。細野さんとは旧知の間柄で、はっぴいえんどにドラマーとして参加し、その頃から作詞を手掛け始めます。75年の太田裕美さんの大ヒット曲『木綿のハンカチーフ』よって歌謡界で作詞家としての存在感を高め、筒美京平さんとのコンビで、数々の名曲を生み出していきます。当初、松本さんは「歌謡界に友達はおらず、単身赴任していた」という発言をしていますが、赴任先で旧友と再会を果たし、さらにYMOの面々が歌謡界、芸能界と接点を持ち始めるきかっけになった仕事が『ハイスクールララバイ』だった、といえそうです。
 
以降、細野さんは松田聖子さん、中森明菜さん、小泉今日子さんはじめ、数々のトップアイドルへの楽曲提供やプロデュースに携わっていきます。坂本さんは、欽ちゃんの番組から生まれた女子トリオのわらべや伊藤つかささん、高橋さんもピンク・レディーなどとの仕事を手掛けることに。YMOの稀有な才能が、徐々に日本の歌謡界、芸能界をも変えていったわけですが、優れた人材を取り込んでは、大衆向けに魅力ある商品を生み出す芸能界の包括力と言うか、魔力のようなものにも改めて驚きを禁じ得ません。
 
今回も、YMOそのものをちょっと避けてしまった感もありますが、また回を改めて、YMOに向き合ってみたいと思います。

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ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
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