お茶の間でYMO 後編

1980〜90年代のサブカルシーンにイエロー・マジック・オーケストラ(以下YMO)が与えた影響は絶大で、音楽にとどまらず多岐にわたる。YMOにちょっと向き合ってみよう。

Text Yasushi Matsuami

1980〜90年代のサブカルシーンにイエロー・マジック・オーケストラ(以下YMO)が与えた影響は絶大で、音楽にとどまらず多岐にわたる。YMOにちょっと向き合ってみよう。

いもきんトリオ
ヨシオ役の山口良一さん(左)、フツオ役の長江健次さん(中)、ワルオ役の西山浩司さん(右)の3人によるイモ欽トリオ。作詞・松本隆さん、作曲・細野晴臣さんによる『ハイスクールララバイ』が大ヒット。写真提供:産経新聞社

お茶の間でYMO 前編」から続く

YMOがデビューした1978年の音楽シーン

YMOがデビューした78年当時の音楽シーンはどんな状況だったでしょうか。
当連載の第1回で、80年代のシティーポップが今、改めて海外でもてはやされていることに触れましたが、そのきっかけとなった『プラスティック・ラヴ』の竹内まりやさんや、サザンオールスターズのデビューがこの年。資生堂のCMソングとして同年にヒットした矢沢永吉さんの『時間よ止まれ』のレコーディングに坂本龍一さんと高橋幸宏さんが参加していたことも興味を引きます。またこの時期、Charさん、世良公則さん、原田真二さんが“ロック御三家”と呼ばれ、ドラマ『西遊記』のオープニングテーマとなった「モンキー・マジック」をヒットさせたゴダイゴも人気バンドとなっていました。
 
余談ですが、当時、島根県の中学3年生だった筆者はハードロックにかぶれ、キッス、クイーン、エアロスミスを入り口に、ディープ・パープルやレッド・ツェッペリン、ジェフ・ベックなどへとさかのぼり始めていましたが、同年夏のCharさんとゴダイゴのジョイントツアーを見て、大いに感化されたことを記憶しています。
 
その一方、アメリカにおけるテクノサウンドの先駆者的ニューウェーブバンド、ディーヴォによるローリング・ストーンズの『サティスファクション』のカバーに腰を抜かしたのもこの頃でした。80年代を前にして、日本でもYMOのみならず、テクノミュージックの準備が着々と進み、79年にはP-MODEL、ヒカシュー、プラスチックスの“テクノ御三家”と呼ばれるバンドもデビューします。ただ、筆者もそうであったように、60~70年代のロックや、当時流行のフュージョンなどになじんだ人々の耳には、テクノの「ピコピコ」サウンドに、やや抵抗感があったり、この類の音楽を理解できていない部分があったのも事実でした。
 
YMOは、翌79年に発表したアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』がオリコン1位、ミリオンセラーの大ヒットを記録、人気を決定づけます。その後、『増殖』(80年)、『テクノデリック』(81年)、『浮気なぼくら』( 83年)、『サーヴィス』( 83年)とオリジナル・スタジオ・アルバムを発表し、83年に“散開”。わずか5年の活動期間でしたが(その後、リユニオン活動が行われることになりますが)、日本を超えてその影響力はグローバルに広がり、チルドレンを自任するアーティスト、ミュージシャンもあまた存在しています。

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ラグジュアリーとは何か?

ラグジュアリーとは何か?

それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。