料理と器の話を続けようと思っていたが、思いもかけぬ事態が勃発したので、その話を書くことにする。
出ばなをくじかれる、というのは、まさにこういうことを言うのだろう。
オリンピックイヤーが始まり、日本中が心を浮き立たせ、中国の春節をきっかけとして、いよいよ今年も観光シーズン到来とばかり、観光業、飲業が手ぐすね引いて待っていたところへ、思わぬ敵に襲われてしまった。
中国から始まったコロナウイルス騒動は、あっという間に世界中に蔓延し、もちろん日本も例外ではなかった。
今この原稿を書いているひな祭りのころが、おそらくピークとなって、これをお読みいただいているころには終息、もしくはそこに向かっているだろうと思う。いや、そうあって欲しいと願っている。
青天の霹靂という言葉も当てはまるかもしれない。今年の松の内に、誰がこんな事態を予測しただろうか。好景気の年になることを、誰も疑わなかったに違いない。
目にも見えない至極小さなウイルスに、世界中が静まり返ってしまった。
多くのイベントや行事が中止や延期となり、小中高校までもが休校になるという異例の事態となった。
不要不急の外出は控えるように、とのお達しが出るに至って、外食産業、観光業、レジャー産業は壊滅的とも言える打撃を受けた。
ずっと右肩上がりを続けてきた京都がどうなったか。予約の取れない店はどうなのか。行列のできる店は?
この先どうなるかはまだ不透明ながら、3月初旬の段階では、はっきりと明暗が分かれている。
京都にあふれ返っていた観光客はすっかり姿を消し、京都駅構内の人気店は、軒並み閑古鳥が鳴いている。
一方で、地元に長く根付いている食堂や喫茶店、洋食店などは、ふだん通りににぎわっている。
では、京都で人気沸騰中の和食割烹はどうかと言えば、こちらもやはり明暗が分かれている。
月に一度は必ず訪れるほど、近年のお気に入り店となっている「燕 en」という和食の店が京都駅近くにあって、コロナ騒動で騒然とするなか、いつものように訪れたが、ふだん通りににぎわいを見せていた。
10人ほども入れば満席になるという小さな店。いつ訪れても、空席を見たことがないほどににぎわう店だが、かと言って、何カ月も前に予約せねばならないような店でもない。
外国人の姿を見かけることはほとんどなく、カウンター席に行き交う言葉もたいていが京言葉。いわゆる地元密着型の店は、ウイルス騒動の影響をほとんど受けずにいる。
片や、飛ぶ鳥を落とす勢いの人気割烹店はどうかと言えば、こちらは少なからず打撃を受けているようだ。
何カ月も前から予約していた客が、あっさりキャンセルすると聞いて驚く。それほど楽しみにしていたチャンスを逃してしまうことに躊躇はないのだろうか。
外国人客は渡航制限の問題もあるだろうから分からなくはないが、日本人までもキャンセル続出だというから不思議だ。外食は自粛対象にもなっていないし、交通機関がストップしたわけでもない。なのになぜ?
外食事情に詳しいフードライターさんが、いともたやすくその事情を看破した。
せっかく予約困難な店の席を確保したのに、あっさりそれを放棄する理由は大きく二つだそうだ。
一つは、例によってSNSの存在だという。予約困難な有名店に行って食事をする。その目的の一つがSNSに投稿して自慢すること。それは僕も再三指摘してきたが、やはりそうだったようだ。
もしもその店、もしくはその周辺で感染が露見すれば、自慢どころか批判の対象になってしまう。さらには自粛ムードが広がるなか、どうにもバツが悪い。そんなわけでSNSで投稿できないなら行かなくてもいい。
どうやらそういうことのようだ。
そしてもう一つ。なぜあっさりキャンセルするかと言えば、それはイベントだからだそうだ。
おいしいものを食べる、という以上に、イベントの色合いが濃く、どうしてもそれを食べたいというわけではない。何カ月も前から予約するのは、その外食がイベントだからであって、ならば中止しても支障はない、となる。
決して喜ぶべきことではないが、このウイルス騒動は、日本の外食事情のゆがみを、くっきりと浮かび上がらせたことだけは確かだ。一刻も早い事態の終息を祈りつつ、真っ当な外食繁栄を願う。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2020年4月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています