肉ブーム

食語の心 第73回 柏井 壽

December 12, 2022
December 14, 2022 Last modified

食語の心 第73回 柏井 壽

食語の心 第73回

一日の仕事を終えて、さて今夜は何を食べようかと、思いを巡らすに、まず頭に浮かぶのは、肉か魚か、である。
近年の女性たちには、ここに野菜が加わり、肉か魚か野菜か、となるようだが、古希に近いオトコにとって、野菜はあくまで添え物であって、主役にはなり得ない。

もちろん肉も魚も、和洋中、あらゆる料理に仕立てあげられるのだが、イメージとして言えば、魚は和で、肉は洋である。魚はあっさりで、肉はしつこい、となり、元気を求めるなら肉、落ち着きを求めるなら魚、となる。
身体が欲する、とでも言うのだろうか、肉を食べたい、という欲求は、魚に比べてはるかに強い。同じタンパク質なのに、なぜそれほど違うのだろうか。

僕は学者ではないので、詳しいことは分からないが、栄養学的には、どうやら魚に軍配が上がるようで、魚をもっと食べなさいという栄養学者はたくさんいても、肉を食べよという学者は少数派である。
更には、肉類は極力食べないほうがいいという論調も少なくない。
加えて、むかしの日本がそうだったように、肉食を禁じる戒律を定めている国もあり、どうも肉食の旗色は悪い。

魚=健康、肉=不健康というイメージが定着していると思っていたところへ、にわかに肉食ブームが到来したのも不思議と言えば不思議な話だ。

最近、京都の我が家の近くにもオープンしたのだが、リーズナブルにステーキを食べさせる店の人気は絶大なものがある。オープンしてから連日行列が途切れることのない、件のステーキ店の前を通ると、なんとも言えず香ばしい匂いが漂ってきて、おなかが鳴ってしまう。

これは魚にはないことだ。魚を焼く匂いで、強烈に惹きつけられるのは鰻の蒲焼ぐらいのもので、たいていの魚を焼く匂いは、悪臭として忌み嫌われることも多い。
住宅事情が良好とは言えない日本で、魚が敬遠されるようになったのは、焼き魚の匂いが大きな理由となっているはずだ。
加えて小骨を有する魚は、食べるのが面倒という理由も加わって、敬して遠ざける存在になってしまった。

というわけで、日本ではここしばらくのあいだ、魚や野菜を食べなければ、と思いつつ、いくらかの罪悪感も持ちつつ、肉を食べてきた、というのがおおかたのところだ。
ところが昨今は、肉を食べることに対する抵抗がほとんどなくなり、大量に肉を食べることをとがめるような風潮は、まったくと言っていいほど無くなってしまった。

先のステーキ店などは、300グラムだとか、400グラムカットのステーキを売り物にし、更には肉マイレージと称したポイント制を設け、食べたグラム数に応じて特典を付与するなど、大量に肉を摂取することを推奨している。

少し前の時代なら、栄養学者などがこれに異を唱えたりしたものだが、みじんもそんな気配は見られないし、マスメディアも同様、それを好意的に報道している。
肉好きの僕としては、何ひとつ文句はないのだが、今の肉ブームとも呼ぶべき時代の流れを、危うく感じてしまうのだ。

今回の本題はここからである。

日本人だけではないのかもしれないが、食をブーム化する傾向は年々強くなっている。今はこういう食がトレンドだ、こんな料理が流行っていると言ってメディアがあおり、消費者がいっせいにそれを追いかける。

鯖(さば)の缶詰がブームだと言われれば、これまで見向きもしなかった人たちがそれに群がる。結果、スーパーの棚から鯖缶が姿を消し、ふたたびその姿を現したときには、以前の二倍ほどの値段が付けられる。もう半年もすれば、きっと鯖缶のサの字も誰も言わなくなるだろう。勝手に人気をあおっておいて、しばらくすると梯子を外す。鯖にはいい迷惑だ。

今の肉ブームの端緒となったのは、ローストビーフの大盛りだったような気がする。
ご飯が見えなくなるほど、たくさんのローストビーフを載せた丼に、あちこちで行列ができた。お目当ては食べることより写真である。いわゆるインスタ映えという、アレだ。
度々例に引いて申し訳ないが、人気のステーキ店でも、たいていは食べる前に写真を撮っている。おそらくすぐにSNSに投稿するのだろう。

こうして食のブームは始まり、そして終わる。そして次のブームがまた始まる。次なる食ブームは、タピオカなのだそうだ。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2019年5月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
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