パンとご飯

食語の心 第72回 柏井 壽

食語の心 第72回 柏井 壽

食語の心 第72回

洋食ランチをオーダーすると、かつては決まって「ライスかパンかどちらになさいますか?」と尋ねられたものだ。
今もそういう店はなくもないが、めっきり減ってしまった。

なんとはなしにパンを選んだほうがスマートに見えるだろうからと、デートのときなどは、本当はライスにしたかったのに、無理してパンを選んだという男性も少なくなかったのではなかろうか。

よくよく考えてみれば不思議な話で、主食を選ぶなどというのは日本だけのことだろうと思う。西洋全般、主食はパンに決まっている。
では日本はどうなのだろう。
みずほの国というくらいだから、日本の主食は当然ながら本来は米だった。にもかかわらず、パンも選択肢に入ってきたのは、間違いなく学校給食の影響である。

日本中の小中学生の給食をまかなうほどの米が足りなかったのか、はたまたパン食を普及させようとしたのかは定かではないが、なぜか学校給食の主食はパンだった。
そのパンはと言えば、地方によって多少の違いはあったかもしれないが、決して美味しいものではなかった。

トースト用の食パンや細長いコッペパンを焼くことも温めることもなく食べる。見た目も食感も寒々としていた。それに合わせるおかずは、筑前煮だとか、ちくわの天ぷら、クジラの竜田揚げだったりするわけで、どう考えてもご飯のおかずだ。
和食とパン、という今では考えられない取り合わせを、子どもたちは食べさせられていたのである。

今ではミスマッチという言葉もあるが、学校給食のおかげで、味覚オンチになってしまった人も多いのではないだろうか。
強烈な思い出として残っているのだが、中学生のとき、ある日の給食にサバの味噌煮が出た。添えのおかずはキャベツの炒めものだ。それを脱脂粉乳と、パサパサの食パンで食べるのだから、給食嫌いになっても当然のことだろう。

中学を卒業する間際になって、米飯が給食に出てきたとき、生徒たちのあいだから期せずして拍手が起こったのは、決して大げさなことではなく、ようやく我が国が独り立ちできるようになったと、子ども心にも理解したからなのである。

そんなことがあっても、日本にパン文化はじわじわと浸透し、いつしか家庭の朝食でも、ご飯かパンを選ぶ時代になっていた。
焼鮭や納豆、味噌汁とご飯。はたまたハムエッグとスープとトースト。和洋の朝食を二分する時代が始まったのは、東京オリンピック以降のことだったと記憶する。

だがそのころは白米もパンも普通名詞であって、銘柄米も一般には出回っておらず、トースト用のパンも、何枚切りかが話題になる程度で、ごく一部を除いて、どこの店のパンかを問うようなことは一般的ではなかった。

隔世の感というのは、こういうことを言うのだろう。今やブランド米にあらずんば米にあらず、といった風潮が蔓延し、それだけでは飽き足らず、高額な炊飯器で炊いたご飯でないと食べない子どもがいるらしい。美味しいに越したことはないが、あまりに行き過ぎるのも困ったことではある。

それはさておき、朝食におけるご飯vsパンの戦いは、パンの圧倒的勝利に終わる。その最大の要因は手軽さだ。ご飯は炊かねばならないが、パンはトースターで焼くだけでいい。朝の多忙な時間に手をかけることなく、手軽に朝食を済ませられるのだから、誰もがそっちを選ぶようになる。加えてイメージとしても、ご飯と味噌汁より、パンとコーヒーのほうがオシャレに見える。

というわけで、日本人の朝の主食はパンということになった。

月日は流れ、平成も終わろうかというころになって、にわかにブームとなったのが高級食パンブーム。
ふつうにスーパーで買えば150円ほど。街の小洒落(こじゃれ)たブーランジェリーでも200円ほどの一斤の食パンが400円。それが飛ぶように売れ、並ばないと買えないというのだから、不思議な時代になったものだ。
売り手は、焼かずに生で食べることを奨めているようで、ここがどうやらミソになっているらしい。

高級というか、高額食パンは定着するのか、いっときのブームで終わるのか、成り行きを愉しみに見守っている。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2019年4月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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