書く仕事のほとんどすべてが日本国内の話なので、長く海外旅行から遠ざかっていた。
もともと旅好きになったきっかけはヨーロッパ旅行であって、大学に入った年から3年間は、毎年夏休みのほぼすべてを費やして、ヨーロッパ中を旅してまわった。
旅とはなんとエキサイティングなのだろう。異空間で過ごす非日常は、なぜこんなに魅力的なのか。そう思ったことが僕を旅好きにさせた。
3年間で130日ほど掛けてヨーロッパを巡って気付いたのは、あまりにも僕が日本を知らないことだった。異国の人たちから日本のことを尋ねられて、答えられないことがあまりに多すぎた結果、そののちは日本の隅々までを訪ね歩くことに専念してきた。
ヨーロッパもたしかに面白かったが、日本各地の素晴らしさは、それをも凌駕し、日本を旅することに夢中になり、気が付けば40年余りのあいだ、一度もヨーロッパの土を踏むことなく過ごしていた。
そうだ。フランスに行こう。
突然そう思い立って、家人を伴って8日間という駆け足ではあるが、南から北へとフランスを巡った。
学生の貧乏旅行だった約40年前とは比べものにならないほど、今回は優雅な旅だったが、とりわけ食に関しては当時とは大きく印象が違った。
それもしかし当然のことであって、およそ40年前は、日本でいう木賃宿のようなホテルに泊まり、大衆食堂のようなレストランで食事を済ます毎日だったが、今回はそれなりに名の知れたホテルに泊まり、ときには星付きのレストランで食事したりしたのだから。
郷に入っては郷に従え。その言葉どおり、奨めにしたがって食べたあれこれは、どれもとてもおいしかった。同じ料理であっても、日本で食べるそれとは違っていたが、それなりに愉しむことができた。
たとえばマルセイユで食べたブイヤベース。
マルセイユの港近くにあって、観光客の姿をほとんど見かけない店。日本でたとえるなら、魚市場で漁師たちが腹を満たすような店。
席に着くとまず、細切れにしたバゲットが籠に盛られて出てきた。カリカリのそれは、その後に出てくるスープにつけて食べよと、シェフが指示した。そのスープこそがブイヤベースのエキスであって、スープを吸ったバゲットは濃密な味わいで、これだけで立派な前菜となった。
スープに浸して膨らんだバゲットでお腹を満たしたところで、真打ちのブイヤベースの具がテーブルに登場。
オマールやら貝類やら魚がぎっしりと皿に盛られ、つまりはブイヤベースが二段階に分かれて出てきたというわけだ。
ところ変われば品変わる。まさにそれを地で行く料理。スープに浸すバゲットは、日本でいうなら、鍋ものの締めの雑炊。後から出てくるべきものだろう。先に具の魚介を食べてから、後でスープ浸しバゲットを食べたいと思ったものだが、これもまた食文化の違いというもの。
あるいはエクサンプロヴァンスのレストランでランチに食べたムール貝。
日本なら3人前ほどは優にありそうな大量のムール貝。これが大盛りなどではなく、レギュラーサイズだというから驚くばかり。これが前菜でメインは後から出てくると聞いて二度びっくり。
日本人とは比較にならないほどの体格が、そのボリュームを欲するに違いない。彼ら彼女らから見れば、日本の懐石料理などは、ままごとにしか見えないだろうと思う。
欧州から来日した要人が、京都の料亭で食事をし、懐石料理のコースが食後の抹茶まで進んだとき、
-ところで、いつメインの料理は出てくるのだ?-
ときいたという話は、まんざらジョークでもなさそうだ。
ボリュームのある前菜とメイン、そしてたっぷりのデザート。この三つで構成されるのが西洋流の基本なのだろう。
もちろん日本料理にも影響されて、多品種少量のコースを仕立てるヌーヴェルレストランも増えてきてはいるが、かの国の根本は、三段階方式の食事だろうと推測される。
最初は違和感があったが、なるほどこれも合理的だなと思い始め、どこかで一汁一菜に通底しているようにも思え、やはり日本の食文化は特殊なのだろうという結論に至った。
海外、とりわけ欧州では和食が空前のブームだと聞いていたが、現地では微塵もそんな空気は感じなかった。その唯一の例外はまた次回に。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2019年1月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています