社会情勢だとか、国際関係だとか、経済状況などなど、ネット上にはさまざまな情報があふれ返っているが、そんななかでも、最もよく目に付くのは食情報ではないだろうか。
もちろんそれは、僕自身が興味を持っていて、最も重大な関心を寄せていることを、ウェブが自動的に見抜き、情報を選別しているからだろうが。
それほどに多くの食情報があふれていても、旅をしてはじめて分かる食情報もあれば、ネット情報の曖昧さに気付くこともよくある。
旅が教えてくれる、本当の食の話。最近の事例をご紹介しよう。
ご縁をいただいて、三重県の桑名市を訪れることとなった。
梅雨のさなか。6月初旬ごろのことだ。たいていは通過するだけで、じっくり見ることのなかった桑名だが、さすが東海道五十三次の一宿だけあって、街歩きをしても実に愉しく、多くの発見もあった。
だが、梅雨の晴れ間はムッとした暑さをもたらし、少し歩くだけで汗だくになり、一刻も早く暑気払いをと、ホテルでシャワーを浴びて、早々に夕食を摂ることにした。
桑名の食と言えば、誰がなんと言おうがハマグリである。「その手は桑名の焼きハマグリ」という洒落言葉は誰もが知るところだ。
ではあるのだが、暑い時季のハマグリは避けるべし、と思いこんでいたから、どうしたものかと迷っていた。カキやハマグリなどの二枚貝はあたるとコワイのだ。
ハマグリ料理の店にお誘いいただいた地元の方に、おそるおそる、そんな話をしてみたら、笑い飛ばされてしまった。
なんと、6月は桑名のハマグリが一番美味しい時季だというのだ。5月の終わりごろから7月のはじめごろまでが最盛期で、なかでも梅雨のさなかの6月がベストシーズンだと。
料理屋の主人も、翌日訪れた「はまぐりプラザ」の館長さんも、皆さん口を揃えて、ハマグリの旬は6月だ! と言い切っておられたから間違いない。
なぜそんな誤解が生じたかと言えば、子どもの頃から、ある洒落言葉を聞かされていたからである。
上方落語に出てくる言葉に〈夏のハマグリ〉がある。縁日の市に出ている古道具屋が、「また夏のハマグリか」と嘆く場面がある。どういう意味かと言えば、夏のハマグリは身が腐るが貝は腐らない、ということ。なにわ言葉で言うと「身ぃ腐って貝腐らん」。それを「見ぃくさって買いくさらん」と置き換える。つまり、見るだけで買わない客、というわけだ。
この言葉が印象に残っているせいで、ハマグリは夏に食べるものではない、と思いこんでいたのである。
本題に戻る。誘いに乗って食べたハマグリ料理の数々。それはもう至福と言ってもいい味わいで、ハマグリがこれほど美味しいものだとは思ってもいなかった。
そして食材としてのハマグリは、いくら食べても食べ飽きないというのが、最大の特色である。
桑名名物の、ハマグリのしゃぶしゃぶから、煮ハマグリに、焼きハマグリ。果てはハマグリのフライまで、どう料理しても美味しいので、いったい何個のハマグリを食べたか、数えきれないほどだった。
無類のカキ好きを自任する僕だが、それでも、カキ尽くし料理を堪能すれば、しばらくはカキの殻も見たくなくなるのだが、ハマグリは違う。
翌朝になると、またハマグリを食べたくなったのだ。
古くからの桑名名物に、ハマグリのしぐれ煮という佃煮があり、これを茶漬けにすると、ハマグリのエキスがお茶に染み出して、なんとも言えず風雅な味わいになる。シジミの味噌汁と同じく、二日酔いの朝には恰好の汁ものとなる。
これもしかし、外来のハマグリを使ったものと、桑名産の地ハマグリを使ったものでは、その味わいに格段の差がある。それも現地まで足を運んでこそ分かる話だ。
迷うことなく、ランチもまたハマグリ料理のお店へ。コンロで自分で焼きながら食べる焼きハマグリから、ハマグリフライを串に刺した串カツまで、素材はすべてハマグリという徹底ぶり。
ハマグリという食材の、もうひとつの特色は、どんな味付けにしても美味しいということ。
ハマグリフライを例に取ると、レモン塩、タルタルソース、ウスターソース、醤油タレと、どんな調味料とも好相性を見せる。
現地に足を運んでの、味の大発見。これぞ旅の醍醐味である。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2018年12月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています