旅に出ることが多い。
旅の愉しみといって、その第一は間違いなく〈食〉である。旅先で、その土地ならではの美味に舌鼓を打つのは、何よりの愉しみ。そこに地の酒でも加われば、何もいうことはない。
ここで、しかしひとつの悩みが生じる。それはおおむね、帰途のこと。
たとえば昼前後に、その地を離れて帰途に就くとしよう。
昼食をどうするか、で僕は大いに悩むのである。
その地の名物料理を出す店で、最後の昼餐とするか、もしくは駅弁を買って、車中食とするか。
かつては列車で移動するときだけの悩みだったのが、最近では〈空弁(そらべん)〉なるものも出現し、飛行機に乗るときも、同様の悩みが生じるようになってしまった。
だけではない。近年、高速道路のサービスエリアでも〈速弁(はやべん)〉と称して、土地の名物料理を盛り込んだ弁当が売られていたりもするので、クルマで移動するときにも悩まされることになった。
〈空弁〉〈速弁〉はおくとして、駅弁というのは、どうしてこれほどに魅力的なのだろう。駅弁売場の前に立つと、いつもそう思う。どれもこれも旨そうで、なかなかひとつに絞り切れないのである。
迷いだすとキリがないので、どれかに決めて、手に取るのだが、その瞬間にまた別の弁当が誘惑の眼差しを送ってきて、元に戻したりする。
コンビニ弁当と較べて、駅弁というものは、決して安くない。安ければ、ふたつ買ってもいいのだが、そうは出来ないほどの価格で、だいたいが千円前後する。
旅先にもよるが、僕は八割方、駅弁になる。移り変わる車窓を眺めながら、駅弁を食べる愉しみを優先させるのだ。
それは東京出張のときも同じで、あえて東京で昼食を摂らず、駅弁売場に向かう。
これを何度も繰り返した結果、定番ともいえる弁当をふたつ見つけた。
ひとつは『崎陽軒』の「横濱チャーハン」。
僕の中ではナンバーワン駅弁。ご存じのかたも多いと思うが、折りの半分にチャーハンが入り、残りの枠に、焼売(シウマイ)が2個と、鶏肉のチリソース、甘辛く煮付けた筍、きゅうり漬け。これが実に旨いのである。
通常、チャーハンというものは、出来たて熱々を食べるものであって、冷めたチャーハンなど見向きもされないはずなのに、これが何とも、しみじみと美味しい。感覚的には〈かやく飯〉に近い。あっさりとしていて、脂っぽくないから、冷めても美味しいのだろうと思う。
海老の赤、グリーンピースの緑が、目から食欲を刺激する。
お箸ではなく、先割れスプーンで食べるのが愉しい。
主役のチャーハンがいい味を出しているが、脇役たちもどれも秀逸。チリソース味の鶏肉は、しっかりとした噛みごたえと、スパイシーな味付けで、チャーハンの合間には恰好の味。
『崎陽軒』名物の焼売は、わずか2個ながら、脇役というより、もうひとつの主役。小袋の辛子を焼売の上に絞って、口に運ぶと至福の味わい。
と、これだけで終わらないのが「横濱チャーハン」の底力。
甘辛く煮付けた筍に先割れスプーンを刺して、チャーハンの上に載せ、一緒に食べると、味に変化が付いて、より一層味わい深くなる。
きゅうりの漬物だって、ひと切れ、ひと切れが愛いとおしく感じられるのは、駅弁ならではのこと。
これで600円なのだから、贅沢は言えないのだが、焼売好きにとって、如何にも2個は寂しい。
僕はこの「横濱チャーハン」を買うとき、必ず「ポケットシウマイ」をセットで買う。6個入で280円。合計880円の贅沢だ。
チャーハンと、ちょっとしたおかず。そして8個の焼売。うきうきした気分で帰途に就ける。そういう意味では現地で食べるより、駅弁のほうが余韻を愉しめる。
ちなみに『崎陽軒』の駅弁としては、白ご飯と焼売の「シウマイ弁当」のファンが圧倒的に多いが、少し割高に感じてしまい、いつも「横濱チャーハン」になってしまう。
これにこだわるのは、関西では絶対に食べられないからだろうと思う。
流通が発達した今では、たいていのものがお取り寄せできるし、あるいはデパ地下に支店が出ていたりする。そうなると有り難みが薄れるわけで、ここでしか、という〈食〉は引きが強い。
東京からの帰途。駅弁売場で、もうひとつ僕の好物があるのだが、その話はまた次回に。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2015年10月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています