最近のお店はホームページよりもSNSをうまく活用している。
リアルタイムで情報を発信できることもあり、たしかにそのほうが効率的だろうと思う。
しかしながら、これを見ている側からすれば、良くも悪くも、店のありかたが手に取るように分かるから、店はそのことを十分理解しなければならない。
最も大切なことは、誰に向けて、何を何のために発信するのか、だ。
たとえば最近よく見かける、貸切のお知らせ。
本来の趣旨から言えば、◎月◎日は貸切営業のため、受け入れられないことを詫びるべきなのだが、これを自慢げに告げる、店のフェイスブックがあったりして、鼻白んでしまう。
以前はそんなになかったと思うのだが、最近の京都の店も貸切営業をするところが急激に増えてきた。
たとえばカウンターのみ、10席足らずの割烹店。
京都でも有数の人気を誇る店で、予約も困難で、口コミサイトでも、常にトップクラスにランキングされ、多くが絶賛している。
何年前だっただろうか。開店してしばらく経ったころ、雑誌の取材を依頼すると、即座に断られた。
雑誌で店の様子や、料理の内容を報せてしまうと、実際に訪れる客の愉しみが半減するから、というのが店主の意向だった。
なるほど。たしかにそのとおりだと納得した。そのころは、客が店の中の写真を撮ることすら禁じられていたようで、店の有り様として、正しい姿勢だと、陰ながら拍手を送っていた。
以前にも書いたことだが、最近の料理撮影は目に余るものがある。
美味しそうな料理が出てきて、それを写真におさめたいという気持ちは、とてもよく分かる。しかしそれにも限度がある。
フラッシュを光らせるなど論外だが、ミニ三脚まで立てて、一眼レフのレンズを料理に向けるのも、やり過ぎ感は否めない。
あくまで、食べることに主眼をおきたいもの。カウンター席というものは、必ず相客が居るのだから。
或る種の神秘性を秘めていた店なのだが、すっかり様変わりしてしまった。そのきっかけとなったのは、おそらく貸切営業だっただろうと、僕は推測している。
SNSで見掛ける頻度が、日を追って高くなってきた。
貸切だからなのか、写真は撮り放題。主人が調理しながら、ピースサイン。持ち込んだと思しきシャンパンボトルを、ずらりとカウンターに並べ、女将はえびす顔。
客はといえば、顔を寄せ、肩を組んでの記念撮影。席を立って、シャンパンを注ぎあう様子などは、居酒屋でのコンパ状態。
これが、あの格調高さを誇っていた割烹店なのか。当初は信じられない思いで、SNSに投稿された写真を見ていた。
料理だけで2万円は下らない、高級店。だが、貸切営業の写真からは、そんな空気は微塵も感じられない。僕にはイメージダウンとしか思えないのだが、何度も繰り返されているから、店も客も、これを良しとしているのだろう。
貸切営業と通常営業の、一番の違いは緊張感である。
たとえば8席のカウンター席だったとして、3組のカップルと、ひとり客が2組居たとする。合わせて5組の客に対して、店の主人も女将も気を配らねばならない。
客側は客側で、相客にも気を使いながら、店の主人とも向き合わねばならない。ここに心地よい緊張感が生まれ、それこそが店の居心地よさを作りだすのである。和気あいあいとしながらも、そこにはおのずと節度があり、互いが気遣うことでのみ生じる心地よさ、これが店の風格を高め、良店としての道を歩み続けることになる。
貸切営業の店には、店側からも客側からも、緊張感が失せてしまう。そこにあるのは、ただの馴れ合い。時間が経つにつれ、客が厨房に入りこみ、主人や女将と写メ三昧。主客入り乱れての食事風景は、もはや店の体を為していない。
仕入れにも無駄がなく、確実に売り上げが把握できる。客に対しても余分な気遣いは不要。そう目論む店側と、誰気遣うことなく、ワガママを通せる客側の利害が一致し、貸切営業に頼る店は増える一方。
堕落としか思えない店を避けるのに、口コミサイトの情報欄が、思わぬ役に立つ。〈貸切不可〉。日々この文字を探している。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
※『Nile’s NILE』20159月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています