長く日本語の乱れが指摘されてきたが、その波は食の世界にもおよび始めた。
最近よく使われる言葉に〈おもたせ〉がある。雑誌を始めとして、ちょっと気の利いた手土産のことを〈おもたせ〉と言っているようだが、これはまったくの誤用である。
京言葉の一つである〈おもたせ〉が使われるのはこんな場面。
京都の、とあるお宅に皆が集まって茶話会を開くことになった。そこに集う人たちは皆、それぞれに趣向を凝らした手土産を持参する。無論のこと当主も茶菓子を用意しているのだが、ときに珍しい菓子をもらうと、それを皆と食べることもある。
「おもたせ(……)やけど、貴重なお菓子やさかい、一緒にいただきましょ」
当主はそう言って、いただきものの菓子を皆に披露する。
つまりは、手土産に頂戴したものを、皆で一緒に食べるときに使うのが〈おもたせ〉という言葉。
〈おもたせ〉は、ただの手土産を指す言葉ではなく、こういう限られた場面でしか使われない。
京都と縁が薄い東京の編集者が誤用してしまうのは、ある程度理解できるが、京都を代表する有名料亭が、自らのホームページで〈おもたせカタログ〉などと称して、手土産品を紹介しているのを見ると、なんとも情けない気持ちになる。
ユネスコ無形文化遺産に登録された和食の総本山ともいえる京都の有名料亭ですら、この体たらくだから、他は推して知るべし。
別の料亭のホームページには、主人の顔写真と共に、次のような言葉が掲載されている。
「料亭というところは、どうも敷居が高い所のように思われがちですが、決してそうではありません。京都では普通の人が、日常と少し違う空間で……」
〈敷居が高い〉。これも最近よく誤用されている言葉。
本来は、たとえば親戚や知人に不義理をしてしまい、その始末ができずにいて、訪ねづらいというときに使う言葉であって、一度も訪ねたことのない料亭や店に、敷居の高さもないものなのだが。
おそらくは、格式が高い、という言葉と混同されてしまったのだろう。どちらも京都では人気の高い、名の知れた料亭だけに、その浅薄さはそのまま、今の日本料理店が、いかに言葉をぞんざいに扱っているかを、如実に表している。
誤った日本語を平気で使っていて、日本料理は日本の伝統文化だなどと言っても何ほどの説得力もない。世界に誇るべき日本料理だというのなら、まずは正しい日本語を学んでからにして欲しいものだ。
食の言葉からは少し外れるが、時候を表す言葉にも、最近は間違った使われ方をすることがよくある。
たとえば三寒四温。
雛祭りも終わり、春のお彼岸が近付いてきた頃。少し暖かくなってきたかと思えば、また冬に逆戻りしたかのような寒さに襲われ、春はまだ少し先。そんなとき、気象予報士が言う。
「まさに三寒四温ですね。春はもうそこまで来ているのですが」
これも間違っている。本来、三寒四温という言葉が使われるのは冬の間。文字通り、三日ほど寒い日が続き、その後に四日間ほど暖かい日が続く。そしてまた三日間寒い日が来る。つまりは一週間を周期として、寒暖が繰り返されることをして、三寒四温と言う。かつ、これは中国や朝鮮半島での現象であり、ことわざともなっていて、日本では滅多に起こらない現象だという。
気象予報士といえば、気候のプロであるはずなのだが、知ってか知らずか、天下の公器たるテレビで、こんな間違いを平気で公言する。
さすがに気象予報士が言うことはないが、ワイドショーのコメンテーターなどは、春近しの候だというのに、〈小春日和〉という言葉を使ったりする。
晩秋から初冬にかけてにしか〈小春日和〉という言葉は使わないのだと、多少なりともモノの分かった人なら知っている。
名だたる料理人が、食に関する言葉を誤用し、プロの気象予報士が、気候の言葉を間違って使う。それを聞いた一般人は、まさかプロが間違っているとは思わないから、この誤用はどんどん広がっていく。情報化時代の今日、その伝達速度は昔の比ではない。
なぜこんなことになるかと言えば、プロに見えて、実はプロではない。そんな人たちが増えているからである。その話は次回に。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2015年5月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています