グローバル社会では今、さまざまなことが起きている。それは事実だ。しかし、どうにもこうにも「前には進まない」のだ。非常に不思議なのだが、これもまた事実だ。何か「決定打」が足りない。どうしても足りない。だから「そのままの状態=status quo」がダラダラと続いてきている。
それどころではない。事態が深刻化の一途をたどっている局面が多すぎる。したがって当初はそれぞれの局面で目立っている出来事の数々に目を奪われていた私たちもそろそろ気付き始めているのだ。今訪れているのは「漆黒の時」である、と。
この「漆黒の時」を払拭するには一つしかやり方はない。それは想像を絶する規模の「破壊」が一気に生じ、全てを吹き飛ばすのと共に、その直後からすさまじい勢いで全く新しい「創造」が始まるというやり方である。これが絶妙のタイミングで動く時、ようやく全てが入れ替わり、「漆黒の時」はさんさんと輝く「光の時」へと入れ替わることになる。
非常に抽象的な物言いで大変恐縮なのだが、今起きていることは要するにこうとしか言いようがないと私はここに来て考えている。いわく言い難いのであるが、こうした「漆黒の時」だからこそ絶好調になっている御仁たちがいる。ふさぎ込んでいる他の者たちを差し置いて「この世の栄華」であるかのような動きすら見せ始めている。そしてそれまでの全てをかなぐり捨て、前進をし始めているのである。
そうした姿を見て、私自身は大いなる危惧を覚えざるを得なのだ。実は今、むしろ起きるべきなのは「漆黒の時」への一時的な転落なのであるから。いや、「転落」ではない。「漆黒の時」だからこそ、冷静に己を見回し、力を蓄える。そしてそこで見いだした本当の筋の延長線上に未来からの「光」が輝いていることを確認し、ようやく「漆黒の時」の向こう側へと突き抜けることができるのである。そう、「光の時」への脱出である。
ところがこの「漆黒の時」に調子づいた方々はというと、むしろ「光の時」が始まるのと同時に何ともいえず不調を覚えるようになるのである。そのことは間違いないのであるが、しかしそれでも悲しいかな、これらの御仁たちは分からないのである。「光の時」の担い手になる者たちが「漆黒の時」でやや停滞しているのを尻目に、「我が世の春」を謳歌しているのである。これがたかだか本稿を執筆している時点(2022年10月初旬)から2カ月しか続かないということを知らずに、である。
グローバル社会は確実に「2023年」より次のフェーズへと突入する。準備の時代は2012年から実は続いていたのであるが、今年(2022年)はその最後の年である。しかもそれは年末に向かうにつれて、「次のフェーズ=光の時」へと連なる動きとなる。その直前に今記したような「漆黒の時」が訪れ、担い手たちが二転三転する中、ついに次へと進むというわけなのである。
「漆黒の時」に突然、活躍の場を得たかのように錯覚をしている方々がいたとすれば、大いに注意していただければと思う。それは確実に“仮初(かりそめ)”であり、その後にはつながらない流れなのであるから。そうした方々は今年(2022年)が暮れるまでもなく、その前にそうした仕打ちを受けることになる。
「漆黒の時」は確実に終わる。「光の時」がそれに続く。忘れないようにしたい。
原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。