味の宿

食語の心 第6回 柏井 壽

食語の心 第6回 柏井 壽

食語の心 第6回

季節は良し。休みも取れた。さて、どこかへ旅にでも出るか。

と、旅行の計画を練る時間は実に愉しい。まずは行き先を定め、アクセスを考え、そして宿を選ぶ。ここで道筋が二つに分かれる。ホテルか日本旅館か。
両者を比較しながら、大方の頭に浮かぶのは〈食〉ではなかろうか。どちらに泊まれば、より美味しいものが食べられるか。

総じてホテルの方が選択肢は多い。一定規模以上なら、和洋中とレストランがそろい、その日の気分で選び分けることができる。それに比べて、日本旅館の食事は、ほとんど選択の余地はない。さらには画一的な料理を出す宿が多く、それゆえ敬遠されることも少なくない。

「日本旅館には泊まりたいけど、あの、ありきたりな食事がなぁ」

という声は僕の耳にもよく届く。たしかに日本旅館の夕食は、どこもが同じような和食で、代わり映えがしない。大抵の日本旅館は、一泊二食付きという料金設定をしていて、否が応でも、その宿で食事を取らねばならない。言わば、あてがいぶち。選択の余地がないところにもってきて、画一的となれば、敬して遠ざけられるのも、もっともな話だ。

日本旅館の〈食〉。ざっと、その歴史をたどってみる。
古くは、街道を行き交う旅人のための旅籠(はたご)から始まった。武士たちの高級旅籠ならいざ知らず、庶民向けのそれで供されたのは、空腹を満たせばいい、という程度の代物。一夜の寝所を提供することが、主たる目的であって、〈食〉は付け足しのようなものだった。

時代は下って、旅がただ移動するだけではなく、温泉や観光など、物見遊山の要素が強くなるに伴って、旅籠の有り様も様変わりし始める。
慎ましやかな普段の暮らしを離れ、生涯に、そう何度も繰り返すことのない旅だから、旅の宿ならではの贅沢をしたい。常の暮らしには滅多に出合わないご馳走を食べたい、という欲求が高まることとなる。

今となっては笑い話だが、かつて山深き秘境の宿であっても、必ずマグロのお造りが供された。のみならず、海老の天麩羅、牛のステーキなど、およそ考え得るご馳走が、旅館の夕餉(ゆうげ)に並んだ。
秘湯とも呼ぶべき露天風呂に浸かって、薄っぺらいタオルで、汗を拭きながら部屋に戻ると、座敷机の上に置ききれないほどの料理が、すでにずらりと並んでいる。

やがて頃合いを見計らって、仲居さんが現れ、ビール瓶の王冠をコンコンと叩いて、栓を開ける。コップを差し出して、まずは一杯。喉を鳴らして一気飲み。さてさて、何から食べようか、と箸を取って、膳の上を眺め回す。たとえ冷めていても、これを贅沢とした時代もあったのだ。

さらに時は下って、ようやく旅人も宿も成熟し、ご馳走とは何かを、真剣に考え始め、急激に台頭し始めるのが京懐石。

――吟味した、旬の食材を、熟練の料理長が心を篭めて調理し、一品ずつお出しします――

高級旅館と呼ばれる宿のパンフレットには、おおむね同じような謳い文句が並び、写真もまた似たような絵柄ばかり。伊勢海老、アワビといった高級食材を、品良く盛り付けたことをもってして、安直に京懐石などと呼んだのだろう。

そして近年、声高に語り始められているのが〈地産地消〉。

――料理長自ら、畑に入って収穫した野菜を始め、地の食材をふんだんに使って……――

日本旅館の悪しき習わしは、すぐに〈右へ倣え〉するところ。多くの旅館が似たようなキャッチコピーをウェブサイトに載せている。

つい最近まで、肉だ、魚だ、と言っていたのが、突然野菜。宿はそろって、野菜料理こそが、一番のご馳走だと謳い始めた。もっとも旅館だけでなく、飲食業総じての流れだから、致し方ないのかもしれないが。

と、こんな歴史をたどってきた日本旅館。このままでは、せっかくの伝統ある宿泊施設が寂れてしまう。もっと〈食〉に注力せねば、と立ち上がったのが「日本 味の宿」というグループ。縁あって、この会の顧問を務めている。
北から南まで、日本中から三十数軒の宿が参画し、より一層、宿の食事を魅力あるものにするため、日々研鑽を積んでいるのは頼もしい限り。

その中の一軒、山形県かみのやま温泉にある「名月荘」では、極めて個性的な食形態を打ち出した。
温泉街から少し離れた高台にあって、小規模高級旅館として人気の宿。ここにはなんと、京割烹をも彷彿させるカウンター席があるのだ。

言わば、京都の料亭風料理から脱却し、割烹然とした料理へと進化してきたという流れ。無論、席数に限りがあるので、宿泊客全てがここで食べるわけではなく、部屋出しや、食事処で夕食を取る客の方が多い。しかし、希望すれば、温泉宿で割烹スタイルの食事ができるというのは、食いしん坊にとっては、なんともうれしい話だ。
名にし負う銘柄牛、山形牛を筆頭に、次々と繰り出される、みちのくの美味を、カウンターで食べ、板前と語り合う。これまでの日本旅館にはなかった時間。

同じカウンター席でも、渥美半島の突端近くに立つ宿「角上楼(かくじょうろう)」では、宿の主人自らが包丁を握り、客の目の前で調理する、というさらに進化したスタイルを始めた。
食事処の一部を改装して設えた席ゆえ、数に限りはあるが、豊かな海の幸を捌く様を間近にできるのは愉しい。秋も深まれば、名産の河豚(ふぐ)も俎板に載る。薄造り、焼きふぐ、小鍋立て、と河豚尽くしのカウンター料理も、待ち遠しい限り。

すでに美食家たちの人気を集め始めた、日本旅館のカウンター料理。やがて、さらに進化し、温泉旅館で寿司カウンターが現れるかもしれない。海辺の温泉地などでは、きっと評判を呼ぶに違いない。子供から大人まで、日本人なら、誰もが寿司は大好きだから。
次回はその、寿司の話をしよう。

柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

※『Nile’s NILE』2013年10月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています

ラグジュアリーとは何か?

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