ワクチン接種が進むなか、少しずつ緩和されてはきたものの、コロナ禍の外食は、いわれなき制約を受けてきた。
夜の営業は何時まで、だとか、飲酒は禁止せよ、だとか、人数は何人まで、などなど。コロナ禍以前のように、自由気ままに外食を楽しむことができなくなってしまった。
短期間で制約が外れるものと思い込んでいたが、1年、2年と続くうち、あきらめにも似た空気が流れ始め、しかたなく家ご飯を充実させようと思った人は少なくない。
その傾向は大きく二つに分かれ、一つは前回書いた、かつお節のように、ていねいに一から手作りする料理で、もう一つは手軽な調理ながら、本格的な味わいの料理だ。
そこで前回の続き。大阪は北新地発のレトルトカレーである。
袋のまま湯煎するだけで、ご飯さえあればすぐに食べられるレトルトカレーは、たしかぼくが高校生のころに売り出されたと記憶する。
なんと便利なものができたのか、と一世を風靡(ふうび)し、爾来(じらい)今日に至るまで、人気を保ち続け、なおかつ絶えず進化してきているようだ。
格安商品から、有名店監修の高級品まで、多くのレトルトカレーを食べてきて、格別まずいものもなかったが、飛び切りおいしいと思えるものもなかった。どれもが、そこそこのおいしさで、おいしい、と思ったとしても、レトルトカレーとしては、という注釈が必ず付いてまわってきたのだ。
それゆえ、この北新地発の「玉鬘(たまかずら)名物バターカレー」なるレトルトカレーを初めて食べたときは、大きな衝撃を受けた。レトルト食品特有の乾物臭さがまったくなく、実に香り高いのだ。
何も言わずに出されたら、まさかレトルトだとは思わないだろう、深い味わいで、バターカレーと言いながら、ちっともバターの風味を感じることのできないレトルトカレーを数多く食べてきた経験からすると、やっと本物のバターカレーに出合えた、と感慨深いものがある。
SNSがきっかけとなって出合ったこのカレーは、北新地の小料理バーの名物料理らしく、その名が付いた「玉鬘」という店は一見さんおことわりで知られ、もちろんぼくは行ったこともないから、その店のたたずまいを想像しながら食べるのだ。
老舗の洋食店やカレー専門店でなく、北新地の店が売り出したという点も興味深い。決して安くはないが、価格以上の価値は十分にある。
スパイシーながら、辛すぎることもなく、ご飯によく合う「玉鬘名物バターカレー」と出合ってから、やたらレトルトカレーが気になり、あれこれと試してみるのだが、個性的な商品が数多く売り出されていることに、今さらながら驚いている。
先刻承知の方も少なくないだろうが、無印良品の「素材を生かしたカレー バターチキン」も、レトルトとは思えない味わいだ。酸味がよく効いていて、辛さはほとんど感じないのに、ちゃんとカレーの味がするのもいい。
高いからおいしい、というものでもなく、安くてもおいしいレトルトカレーがあることも知った。
半ば妄信的に有名店のカレーを求めて、長い行列をいとわないカレーフリークは、こんなレトルトカレーをどう評価するのだろうか。
たかがレトルト。されどレトルト。外食が制限されたからこそ、その価値に気付けたのだとすれば、疫病も悪いことばかりではないのかもしれない。
レトルトカレーが好例だが、これまであまり目に留めてこなかった、身近な食を見直す、いい機会になったのは間違いない。
いつも素通りしていたご近所の中華屋さんが、存外おいしいラーメンを出していることを知った。そんなSNSの投稿も目に付く。なにも名店を求めて遠くまで出かけなくてもいいのだ。多くの人がそう気付いた一方で、相も変わらず名店行脚を続けている人もいる。
東京や大阪を始め、京都も長く緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が長期間に及び、ほとんどの飲食店には何かしらの制約が設けられた。
それを避けてなのか、わざわざ地方に繰り出して、名店めぐりをする人たちには、コロナどこ吹く風なのだろうが、身近な美味に気付けないのは、気の毒なことのように思う。
百回近くこの連載を続けてきて、何度も書いてきたが、身近に美味あり、に気付くには今が絶好の機会なのである。
柏井壽 かしわい・ひさし
1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区に歯科医院を開業。生粋の京都人であり、かつ食通でもあることから京都案内本を多数執筆。テレビ番組や雑誌の京都特集でも監修を務める。小説『鴨川食堂』(小学館)はNHKでテレビドラマ化され続編も好評刊行中。『グルメぎらい』(光文社新書)、『京都の路地裏』(幻冬舎新書)、『憂食論 歪みきった日本の食を斬る!』(講談社)など著書多数。
※『Nile’s NILE』2021年8月号に掲載した記事をWEB用に編集し、掲載しています