地産地食

食語の心 第111回 柏井 壽

食語の心 第111回 柏井 壽

地産地食

3年ほど前の秋だったか、うちから歩いて行けるほどの近さに、面白そうな中華料理店ができた。いわゆる街中華と呼ばれる店が多い界隈だが、それらとは明らかに一線を画す店のようで、本格というか高級というか、外観だけでも、祇園辺りにありそうな店の雰囲気を醸し出している。
 
基本的にぼくはオープン直後の店には行かないようにしている。ましてやオープニングレセプションなどというものに招待されても、よほどのことがなければ足を運ばない。これは京都人の習わしと言ってもいいだろう。オープンして間なしの店はまだ、海のものとも山のものとも見極めがつかない。ある程度の落ち着きが出てから、その評価を見定めに行く。開店前のお披露目はたいていが招待だから、いわばタダ飯である。となれば、どうしても色眼鏡を通して見てしまうことになり、さらには義理を感じて、等身大以上に賞賛してしまうはめになる。
 
そんなこんな、しばらくの様子見を決め込んでいるうち、瞬く間に人気店となり、あっという間に予約の取れない店となってしまった。爾来(じらい)3年を経て、近所にありながら、一度も足を運ぶことのない店となってしまった。聞けばコース料理オンリーで、完全予約制、それもひと月以上前に予約せねばならず、しかも会員とそれ以外を区別する、というから、どのみちぼくが行くことはなかったのだろうが。
 
この手の店の常として、ご近所ではその評判は一切伝わってこない。なぜなら客のほぼすべては遠来の客で、いわゆる食通と呼ばれる人たちが多くを占めているからだ。こんな街はずれの住宅街にまで、遠くから足しげく通い詰める人たちが少なくないことに、驚きを禁じ得ない。周囲に名所などなく、アクセスも良好とは言い難い。京都駅からタクシーに乗って30分近くかかるだろう。
 
そんな店では標準語が飛び交い、周囲の環境とは無縁の雰囲気が漂っているそうだ。今、京都で予約の取れない人気店は、ほとんどがこんなふうだ。地元客が入り込む余地などなく、東京を始めとした地方の客が、リピーターとして、ほとんどの席を占め続けている。
 
はるかむかし。パリやローマのブランドショップは、日本人を始めとした外国人ばかりが買いあさっていて、地元の人たちは、あきれ顔でそれを横目にしていた。それと同じようなシーンが、今は人気飲食店で繰り広げられている。それは大都市だけにとどまらず、ひなびた地方にまで同じ現象が広がっているという点では、往時を上回る事象と言っても過言ではない。
 
コロナ禍直前まで、隣国の人たちが大量に買いあさるのを、爆買いと呼んで冷ややかに眺めていたのと、大差ないように思える。ブランド品が食に替わっただけで、根っこに流れているものは通底している。人がうらやむようなものを手に入れ、自慢げにそれを披歴(ひれき)したい。もちろんなかには、心底ブランド品を愛している人が居るように、その食をこよなく愛する人も居るだろう。
 
地産地消という言葉がある。地場で生産されたものを、地場で消費するという意で、食においてもこの言葉は理にかなったものとして、広く浸透している。
 
あるいは身土不二(しんどふじ)という言葉もよく知られている。身と土は二つにあらず。つまり人の身体と人が暮らす土地は一体であるという考え方だ。これを是とするならば、正反対とも思える今の食シーンは、否と言わざるを得ないだろう。その地にある食は、その地の人が食べる。それが本来の姿ではなかろうか。
 
土地と店もまた一体と考えるのが自然。であるなら、まずはその地に暮らす人々となじみになるべきではないか。まるで茶室のにじり口のように、恣し意い的に入り口を狭くし、近隣を排して遠来の客ばかりに目を向ける。特別な一軒や二軒ならともかく、京都中、いや日本中の店がこんないびつな方向に舵かじを切れば、きっと日本の食文化は崩壊してしまう。
 
昨今の京都の人気店と、そこに足しげく通う「よそさん」を見ていると、そんな危惧を抱いてしまうのである。

柏井 壽 かしわい・ひさし 
1952年京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都関連の本や旅行エッセイなどを数多く執筆。2008年に柏木圭一郎の名で作家デビュー。京都を舞台にしたミステリー『名探偵・星井裕の事件簿』シリーズ(双葉文庫)はテレビドラマにもなり好評刊行中。『京都紫野 菓匠の殺人』(小学館文庫)、『おひとり京都の愉しみ』(光文社新書)など著書多数。

ラグジュアリーとは何か?

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それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
サステナブル、SDGs、ESG……これらのタームが、生活の中に自然と溶け込みつつあります。持続可能な社会への意識を高めることが、個人にも、社会全体にも求められ、既に多くのブランドや企業が、こうしたスタンスを取り始めています。「NILE PORT」では、先進的な意識を持ったブランドや読者と価値観をシェアしながら、今という時代におけるラグジュアリーを捉え直し、再提示したいと考えています。