我が国が本当に「開かれる日」

時代を読む 第103回 原田武夫

時代を読む 第103回 原田武夫

時代を読む――原田武夫 第103回 我が国が本当に「開かれる日」

本稿執筆時点(2022年1月末)の段階ではまだオミクロン株の蔓延でパンデミックの「猛威」が我が国においては語られているが、地球の裏側、とりわけ欧州においてはどうかというと全く状況は違ってきている。

むしろそこで語られているのは「正常化」であり、「ポストコロナ」なのである。そうした中であらためて考えてみたいのが我が国における国際金融都市の立地についてである。

国際金融都市とは、グローバルマネーの「ハブ」である。24時間365日、世界中を行き交うマネーがそこを必ず通過し、あるいは一時的に滞留する場所を指す。我が国では現在、東京がこうした国際金融都市に既に成っているというのが財務省関係者の共通認識であるが、むしろ地方自治体のレベルでは東京であってもそのための基礎インフラが足りないと叫ばれている。それに大阪、福岡が追随しているというのが現状なのだ。

2008年5月ごろのことだったであろうか、私は中国・上海で開催された米中英合同セミナーに参加したことがある。米財務省と英チャタムハウス(王立国際問題研究所)の共同開催であったが、その際に配布された資料が大変印象深かった。なぜならば21世紀の金融ハブはアジアにおいて香港やシンガポールではなく、条件付きで東京、あるいは「北京+上海」になるとはっきりとそこには書かれていたからだ。

それでは東京がアジア有数の金融ハブ、すなわち「国際金融都市」になるための条件は何なのだろうか。この資料を書いたのはロンドン・シティー(City of London)であったが、そこにはこう書いてあった。

「東京特有のマインドが解消された場合のトーキョー」

要するに内向きなマインド、心性が支配的なのが、東京の抱える最大の問題だというのである。基礎インフラについての指摘ではなく、とかく内向きで物事を解決する、外側に開こうとしないことこそが重大問題だというのであった。

しかし事は何せ、「心の問題」なのである。しかも東京に暮らす誰が心を開き、外向きのマインドになったらばよいというのであろうか。あまりにも抽象的な指摘過ぎると言わざるを得ない。それと同時に、確かにそうであると思えてしまうことも事実なのだ。コロナ禍で外国人観光客が来なくなった東京は繁華街を訪れても実に閑散としている。私を含め、正直なことを言うと少しだけホッとしているのが実情ではないだろうか。だが、そもそも我が国は外側からマネーが注ぎ込まれないと繁栄はしないのである。

その大原則に従うならば、こうした安堵感は同時に自虐的であると言うべきなのかもしれない。むしろ必要なのは、ポストコロナに向けていかにして私たち日本人が外側に向け、戦略的に開いていけるかにほかならないと私は考えている。

とにもかくにも、「次の金融ハブはトーキョー」と決めているのは英国勢であり、海の向こう側なのだ。そこで私たち日本勢の意向などある意味どうでもよいのかもしれない。しからば力ずくでもこのことを実現するため、彼らは何をしてくるであろうか—。そう考えた瞬間に一つ「悪夢」がひらめいた。

我が国では「女帝再興論」が語られ始めている。しかしそこで語られていない論点が一つだけあるのだ。「女帝」には「配偶者」が必要なわけであるが、その配偶者が海の向こうの王族から迎えられるならば一体どうなってしまうのだろうか。

その意味で東京が、そして私たち日本勢が「究極に開かれる瞬間」は実のところ、そう遠くないのかもしれない。

原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。

ラグジュアリーとは何か?

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