岸田文雄政権が我が国において成立してからやや日が経った。それによって何が変わったのか? と問われるとなかなか答え難い日々が続いている。無論、「新自由主義からの転換」といったお題目は次々に並べ立てられている。
しかしそもそも我が国の戦後政治において澱のように積み重なってきたものが解消し始めたのかというと全くそうではないのである。むしろある意味、「ブルータスよ、お前もか」という事態が続いているのであって、もはや「誰も期待しなくなった」というのが実態だろうか。
外務省を自らの意思で辞めた直後、保守系評論家として知られるとある御仁と対談したことがある。その際、こんなことを言われたのを今でもよく覚えている。「我が国がいつから変わり始めたのかといえば、『保守系政治家』として知られた中曽根康弘氏が総理大臣になってからだと思う。あそこから何かが変わり始めた」
御仁とはその後、疎遠になってしまったがこの分析の鋭さだけは胸に響いている。あれから15年以上の月日が経ち、筆者なりに研究を重ねてきたが、確かにそうなのである。そしてこの分析を下支えするある決定的なファクト(事実)も見いだすことができた。
要するにこういうことである。―中曽根康弘総理大臣は、時の天皇であった昭和天皇の傘下にあって政治を行うというスタイルをとらなかった。無論、表面的には定例の儀式はこなした。しかし決定的なのはあたかも彼自身が我が国の中心であるかのようなスタイルの政治に固執した点であり、その意味でそれは「保守」、すなわち“我が国において固有なものを守り抜く”という態度ではなかったのである。むしろそこで見られたのは古代から中世にかけての時期において「武士」が忽然と登場し、剥き出しの物理的な強制力をもって朝廷における「政(まつりごと)」にすら侵食し始めた時の様子に酷似していたのである。
筆者はこれを「権力と権威の相克」というフレームワークを使って理解する。権力とは剥き出しの物理的強制力だ。現在であれば俗に「国家権力」と呼ばれるものがこれに相当する。とにかくその命ずるところに従わない限り、私たちに命はない。納得していなくてもこれに応じなければ命は潰えるのである。だから、とりあえず「従う」というわけだ。
しかし権力には致命的な一点がある。それは権力自身において自らの正当性(レジティマシー)を担保することはできないという点だ。これはかつてドイツで政治・憲法思想の泰斗であったカール・シュミットが語った「合法性と正当性」という議論を顧慮すればすぐに分かることだ。例えば1930年代のドイツでヒトラー率いるナチスは「完全に合法な手段」で権力を掌握した。ところがこの権力が行ったことには同時代的にも正当性はなかったのである。それをギリギリのところまでの暗喩を使って糾弾したのがカール・シュミットなのであった。
今の我が国においてもそうだ。権力は確かにある。厳然としてある。しかし民主主義的な「手続き」をもってしても、選ばれた権力の担い手たちが行う振る舞いにはどう見ても「正当性」がないのである。そして事あるごとに漏れ聞こえてくるのがそうした権力が、今度は権威の担い手である我が国の天皇と皇室に対して、制限的な措置を続々と講じているという事実である。これに対して権威はじっと耐え忍んでいるようにお見受けする。しかしもはや限界というのが率直なところなのではないだろうか。
権威とは何か。それは三位一体であるというのが私の考えだ。「的確に未来を見通し、それを宣下すること」「未来を切り開く技術の開発をリードすること」「以上の成果を担保し、流布させるための圧倒的な財政・金融力を持つこと」の三つである。この意味での座組みが整ったのが実のところ2021年の12月なのであった。
それでは遅れてやってきた「権威による復讐し」はいつ、いかなる形で始まるのか。いよいよ歴史の真実が私たちの目の前に顕現することになる。それが、新年の実相なのだ。
原田武夫 はらだ・たけお
元キャリア外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。情報リテラシー教育を多方面に展開。2015年よりG20を支える「B20」のメンバー。