世界を仕切る「B20」の正体

時代を読む-第27回 原田武夫

時代を読む-第27回 原田武夫

時代を読む――原田武夫 第27回 世界を仕切る「B20」の正体

4月16日、17日に開催されたG20(主要20カ国・地域財務省・中央銀行総裁会議)の支援会合であ「B20」にメンバーとして出席すべく、1年半ぶりに米ワシントンDCを訪問した。ちょうど桜が散り始めるくらいの時期に重なり、祖国・日本では忙しさのあまり見損ねてしまった満開の桜をしばしめでた次第だ。「 B20」は我が国ではほとんど知られていないが、国際場裏では実のところ、グローバル・アジェンダを実質的に取り仕切る場として確固たる地位を築き始めている組織だ。もっともホームページを見ても、一体誰が主体なのだか分からない。謎の組織だ。

だが「謎だ、謎だ」と言ってもいられない重大な事情が一つある。というのも、このB20 の場で議論されて導き出された「政策勧告( policy recommendation)」が、そのまま政府間会合であるG20に提示されるからだ。

G20はというと、今度はその政策勧告の中からピックアップし、3分の1程度を決議するのである。そしてこの瞬間にそれらがG20各国の政府がこなさなければならない宿題となるのだ。

つまりこのような流れを踏まえると、謎の集団「B20」はグローバル・アジェンダの源流中の源流であるということになる。そのことに早耳の人々は世界中で気づいているようだ。

例えば華僑・華人ネットワークのハイレベルに属する親友からも、つい先日「米西海岸で経済ジャーナリストと話している時、B20について聞いた。どうやったら入ることができるのか?」との問いかけをメールでもらったばかりである。

実のところ、このB20に明確な参加資格はない。議長国がかわる度に応募フォームが一定期間、ウェブページ上で提示され、そこに申し込む。後は審査を待つだけなのである。

そして議長国の側がこれまで当該人物がグローバルの現場でどういったキャリアを積んできたのか、要するに「仲間」として認めるべきかどうかをその都度判断していくというわけなのだ。

「グローバル・アジェンダを取り仕切る場」というとよく知られているのがダボス会議(世界経済フォーラム)だ。事実、B20のメンバーもその多くが「ダボスのメンバー」である。だが必ずしも一致してはいない上に、とにかくB20は年間何度も世界中で会合があるのである。電話会議も含めると会合全体で優に10回は超える。議論をリードし、貢献するためには、ほぼ毎回出席する必要があるのであって、それが可能であるという段階で「グローバルであることを生業にしている人物」以外は所属できないということに自動的になっているのだ。しかも参加料は完全に無料であり、大規模な食事会やらレセプションもほとんど開催されない。ただひたすら3時間から4時間くらいかけて、「次のグローバル・アジェンダはこうあるべし」という議論をひたすら行うのである。
 しかもそこでの議論のレベルは極めて高い。何せ、各分科会で知恵出しをするのは米系コンサルティング・ファームの筆頭格だからだ。議論はもちろん英語で行われるわけだが、とにかくメンバーの皆さんはよくしゃべる。貢献するためには、その中できっちりと「自分の立ち位置」をつくっていく努力がリアルタイムで必要になってくる。

実は今年(2015年)のB20にとって最大のテーマは「中小企業(SME)」「インフラ」そして「包含性(inclusiveness)」だ。大企業はもはや世界を救えない、経済成長の芽は中小企業にあるという論調一色なのである。

一方で「インフラ投資のためにアジアインフラ投資銀行というアイデア、全くもって結構」という論調でもあるのだ。正直、日本人にとってはいずれも違和感が残るテーマだ。

世界は停滞しているように見えて、実際には着実に新たな一歩を踏み出している。「枠組みを守るだけの人」のままでいるのか、それとも「枠組みをつくり出す人」になるのか。 私たち日本人にとって重大な岐路が今、訪れている。

原田武夫(はらだ・たけお)
元外交官。原田武夫国際戦略情報研究所代表(CEO)。
情報リテラシー教育を多方面に展開。講演・執筆活動、企業研修などで活躍。
https://haradatakeo.com/

ラグジュアリーとは何か?

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それを問い直すことが、今、時代と向き合うことと同義語になってきました。今、地球規模での価値観の変容が進んでいます。
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